これはひどい Part II
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20091110/p2#c
↑のやりとりで思い出したので。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090813
「浜田寿美男がどうとか言っていたので、調べてみた」と言っているが、これはもちろん実際に著作を(ちゃんと)読んでみたということではあるまい。
たとえば岩波新書『自白の心理学』は、なぜ人は嘘の自白をするのか、が書いてある。しかし、私たちは映画やドラマで、いきなり警察に同行を求められて、一般人が任意だから帰ってもいいなどということを知らず、二人くらいの刑事に脅したりすかしたりされて、認めれば帰してやるから、形式だけだから、かなんか言われて嘘の自白をしてしまうのをよく知っている。
拷問のように“絵になる”場面ならともかく、「認めれば帰してやるから」のような利益誘導が「映画やドラマ」で頻繁に描かれているとは思えない。さもなくば『それでもボクはやってない』が話題になることなんてなかっただろう。だがまあ、これについては定量的なデータの持ち合わせがこちらにある訳でもないから、譲ってもよい。すでに知っているかどうかは別として、多くの人間は、「二人くらいの刑事に脅したりすかしたりされて、認めれば帰してやるから、形式だけだから、かなんか言われて嘘の自白をしてしまう」ことがあるということを比較的容易に理解するだろうから。
「映画やドラマ」ならわれわれはカメラが与える視点によって被疑者が「認めれば帰してやるから、形式だけだから、かなんか言われ」る場面を目にすることができるから、自白が虚偽自白であることを知ることができる。しかし現実の裁判にはそのような観察者は登場しない。幸いにして無罪を証明するはっきりした証拠があればよいが、そうでない場合弁護人は「二人くらいの刑事に脅したりすかしたりされて、認めれば帰してやるから、形式だけだから、かなんか言われ」ている場面を目撃していない裁判官を説得して、残された自白調書ではなく公判での否認証言を信用するよう、仕向けねばならないのである。虚偽自白という現象があり得ると理解することと、自白調書から虚偽自白の兆候を見いだすこととはまったく別の事柄である。これを理解できていないのが第一の問題。
第二に、『自白の心理学』でとりあげられている事件のなかには宇和島事件のような窃盗事件だけではなく、甲山事件(殺人)、仁保事件(強盗殺人)、袴田事件(強盗殺人に放火)といった、自白すれば起訴猶予などありえず有罪になれば執行猶予がつく望みもない事件もある(仁保事件と袴田事件は一家皆殺しの強盗殺人だから非常に高い確率で死刑になることはそれこそ素人にも明らかで、実際袴田事件では死刑が確定している)。著者が裁判に関わり著作でもとりあげている事件にはほかに狭山事件があるが、これも自白につながった再逮捕の容疑は強盗、強姦、殺人、死体遺棄であったから死刑になってもおかしくない事件である(確定判決では無期懲役だが、一審では死刑だった)。いずれも「認めれば帰してやるから、形式だけだから」などという利益誘導などでは到底説明のつかない虚偽自白である*1。多くの人が「認めれば帰してやるから、形式だけだから、かなんか言われて嘘の自白をしてしまうのを」よく知っている云々が意味を持ちうるのは自白しても起訴猶予になる可能性が十分ある事件の場合だけである。そのことは、強盗殺人のような事件ですら虚偽自白が起こるという事実を説明する必要性をいささかも減じるものではない。