事務次官会議

民主党が廃止を公約していた、“官僚主導”のシンボルとしての事務次官会議。その是非はともかくとして・・・。

 すなわち、総務庁中心主義の採用は、一方で行政効率の追及に適合的であると同時に、他方でその実権を持った少数者をコントロールさえすれば満洲国全体の統治を間接的に誘導できるという点でも関東軍にとって最善のものとみなされたのである。そして、具体的には総務長官主催の下で総務庁次長、日系の各部総務司長ないし次長、処長などが参加して開かれる定例事務連絡会議(この会議には正式名称はなく、次長会議、水曜会議、一九四一年以降火曜会議などとも呼ばれた)において国務院会議に上程する議案の審議と決定が行なわれていた。つまり、官制上なんら根拠のない会議において満洲国の政策が実質的に決定されており、総務庁中心主義とは要するに日系官吏が政策決定権限を掌握するシステムに他ならなかったのである。この点につき、総務庁主計処長や総務庁次長などを務めた古海忠之は「満洲国の本質、特に日本との関係を考えた場合、総務庁中心主義はよくも考えられた制度と感ぜざるを得ない」(「満洲国と日本人」国際善隣協会編『満洲建国の夢と現実』)と評価し、次のように述べている。

この日系官吏で固めた総務庁を活用するならば、関東軍が直接満洲国に干渉し、圧迫することなしにその反日政策ないし行動を防ぐことができる。なぜならば、満洲国の重要政策、法案は総て国務院会議の審議決定により、更に参議府の審議・意見答申を経て、執政の裁可により決定されるのであり、総務庁は国法上、国策決定につき何等の権限を持たないが事前チェックができるからである。(同前)

 ここには、国法上まったく権限を持たない機関が国策の実質的決定をすることに対しなんらの疑念も抱かれていないのみか、それを自賛さえしており、彼らが中国人に対して誇ったはずの日本の近代的法治主義がいかなる質のものであったかが、はしなくも吐露されている。しかし、法的に権限がないことを認識したうえでなおこの総務庁中心主義は称揚され、それによって満州国統治が“能率的”に遂行されていった。(後略)

『キメラ−−満州国の肖像 増補版』(山室信一中公新書)、179-180ページより。
まあさすがに次官会議が満洲国の次長会議と同じだとは思わないが、みかけ上は申し分なく民主的な制度の下で少数者による統治を実現するためのマヌーバー足り得ることも否定しきることはできないだろう。