簡単にまとめ

きちんと論点を整理したエントリを書くつもりだったのですが、なんと相手が「俺の真面目な話」を別に真摯に聞いてもらわなくても構わないというひとだった、ということが判明したので、当初の予定よりも簡潔にすませます。丁寧に論拠を挙げるといった作業は省略します。なんせ相手が真摯に聞いてくれそうにないですし。


(1)私の主張とは?
「古典的な自由主義の原則を想起させれば議論は終わり」、あるいは「現行法以上の法規制は問題外、してはならないだけでなくそもそも議論にも値しない」といったタイプの議論はダメダメだ、ということ。それも二重の意味で。
法的に許容される表現と許容されない表現についての現在の(日本における)線引き、裏を返せば表現による被害のうち法的な救済の対象となるものとならないものについての線引きは、はじめからある種の被害については法はタッチしないことを予定している。しかしそうした被害も、現行法で刑事犯罪だったり不法行為だったりするような行為による被害と比較すれば深刻でなかったり具体的でなかったり直接的でなかったりするかもしれないが、それが何らかの意味で「被害」であることを否定する人間はまずいないだろう。言い換えれば、現行法の下では刑事犯罪にも民法上の不法行為にもならないが、それでも「ひとを傷つける」ような表現は存在している。とすれば、そのような被害を座視するのは正義に反する。「法に反する」こと以外のすべては「道徳」の問題であってそんなものに国家や社会は関わるべきではない・・・というのは過度の単純化であって、刑法や民法で処理できることともっぱら個人の自由に委ねられるべきこととの間に、国家や社会が(法よりは緩やかなかたちで)関与すべき&してよい領域がある、と考えることには何の矛盾もない。これが第一の意味。
他方、国際的には現在の日本における「線引き」よりも踏み込んだ規制がある種の「表現」に対して行なわれている事例があり、また日本に対してより踏み込んだ規制を要求する国際的な要請もある。「バカフェミと宗教ウヨが騒いでるだけ」と矮小化すれば溜飲は下がるのかもしれないが、ホロコースト否定論の違法化をめぐる議論の蓄積を考えるだけでも、そうした矮小化は不当であることがわかる。現状で違法(不法)とされない表現でも「ひとを傷つける」怖れは否定できない以上、そうした類いの表現についてなんらかの手当を要求すること自体は極めて正当であるといわざるを得ない。しかるに、「自由主義の原則」にとじこもりその原則が捉え損なう問題の認知すら否認し続けることは、「傷つけられた人々の要求を無視した」として、法規制論者に恰好の攻め口を与えるだろう。「法規制以外の代案を提案するどころか、法でなければそれは道徳だと言って、全然耳を貸さないんですよ」、と。
(この点で id:NaokiTakahashi氏は完全な自縄自縛に陥っている。「法/道徳」の二分法を絶対化するがゆえに、自らは現行の法制度を固守すること以外になに一つできないことになってしまい、そこから「寸土も譲るまじ」戦略が帰結する。いや、「寸土も譲るまじ」だけならまだいいのだが、「法」以外のことは全部「道徳」だとして自ら選択肢を奪っているため、自ら積極的な手を打って後退を防ぐことすら禁じてしまっている。このあたりの思考の硬直ぶりをよく示しているのがこのコメント。この人にとっては、もはや事態は「自分が相手に主張を丸呑みさせるか、自分が相手の主張を丸呑みするか」の二者択一でしかなくなっていることがよくわかる。)


(2)「エロゲ屋」を狙い撃ちにした、は無茶苦茶な言いがかり
さんざん説明した後でもこんなことを言われるとゲンナリしてしまいます。

「お前らポルノ規制反対論者は性差別と戦うアクションを見せる必要があるんだ!」
「いや、ちょっと待て。そりゃ性差別は全国民にとって問題だけど、俺達に限定してそういうことを要求するのは何の踏み絵だ?」

この点については、次のブクマコメを引き合いに出させてもらいましょう。

enemyoffreedom 表現, 行政, ウヨサヨ 普段のエントリに比べて雑というか脇が甘い感じを受けるのは、やはりこの問題に個人的リソースを割く切実さを南京問題ほどにはお持ちではないのだろうな、と。人それぞれ関心事もコミットの軽重も異なるという一例 2009/06/08
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090607/p1

いやいや、私はいつもの私です、よくも悪くも。だから「感じを受ける」のはひたすらあなたの内側に原因があるんですよ、id:enemyoffreedomさん。なぜそう言えるか。当初のエントリにおける私の議論はホロコースト否定論や南京事件否定論の違法化をめぐる議論や、(かつてそれなりに深くコミットした)人権擁護法をめぐる議論における私の立場と全く同じだからです。これら3つは同じ構造を共有する問題であって、その3つに私は同じ立場をとり続けているからです。歴史修正主義の違法化についてもエロゲーの法規制についても、私は「表現の法規制は表現による被害が具体的、個別的である場合に限られるべき」という主張に一定の合理性を認めつつ、だからといって「違法化せよ」という主張(ないし違法化の措置)を愚行としてDisるだけではいけない、という立場をとっています。そして人権擁護法案は、私自身も完全なものとは思わないけれども、「表現への法規制強化」と「現状のまま放置」の間の妥協案として意味をもちうる、と。私の立場はヘイトスピーチにせよ歴史修正主義的主張にせよエロゲーにせよ、「違法化に反対するとして、ではどうする?」で一貫しているのです。
ついでに、私が「エロゲ屋」を「蔑視」しているという NaokiTakahashi氏(および id:rna氏)の指摘にも反論しておきましょう。いや、私の「内面」に「エロゲ屋」への「蔑視」があるかどうかといったことは NaokiTakahashi氏には追及する資格がないはずなので(彼の主張から判断する限り)、私の主張が「エロゲ屋」への「蔑視」を前提しているか・・・だけを問題にすればよいでしょう。とすれば、これ以上考察するまでもなく、ホロコースト否定論の違法化をめぐる議論と同型な議論に「エロゲ屋」への「蔑視」が前提されているはずがない、という結論が出ます。そもそも私はエロゲーの法規制に反対する人間を念頭においたエントリを書いたのに、それに対して“エロゲーの法規制に反対するやつにはエロゲ屋が多い”というオレ様統計を根拠として(ただし、ずいぶんと後ダシでしたが) NaokiTakahashi氏が「自分の仕事、自分の仕事」と言い出した・・・というのがことの経緯です。私としては、なにごとかを「仕事」としている人間とそうでない人間とでもっとも顕著な相違は「その活動から得る収入で生計を立てているか」だと考えているので、所得補償の問題なんかは法規制派との条件闘争の対象足りうるだろう、という趣旨のことを述べたわけです。そうしたら「お前は仕事を稼ぎに還元するのか〜」とか言われたわけですが、もともと「仕事」なんて観点を設定していない議論に勝手に「仕事」という論点を説明抜きで持ち込んでおいて、自分の思う通りに解釈されなかったからといって「蔑視」だと言われても・・・。むしろ、エロゲーに限らずエロコンテンツの規制をめぐって所得補償とか転業のための助成なんてことが具体的に問題にされたことがない・・・ってところにこそ、エロ業界への「蔑視」が現れてるんじゃないの?


(3)「不謹慎なこと言うなよ」がそんなにしんどい要求ですか
これまでに言及したところを除いても、例えばここでは私は南京事件否定論者に対する十字軍を組織すべく人々をオルグしまくってるかのように言われちゃってます。もちろん、資料的根拠はゼロなのですが。この数日で学んだのは、どうやら日本には「オレは南京事件には関心をもてない!」と公言しなければどうしても気がすまない人々、関心がないはずなのに「関心がない」と表明することには異様なまでの関心を示す人々がいる、ってことでした。これは日本における南京事件認識を考察するうえでは非常に重要なデータですが、別に私の主張(必要もないのに現実の死者への共感をことさら否認するべきではない)を否定する論拠にはなりませんね。