「アニマル・ライツ」論の支持者がこんなに多いとは思わなかった

id:aminisi 氏に言われるまでもなく、先のエントリを書いている間私の脳裏には「なんでこんな当たり前のこと書かなきゃならないんだ」という思いはよぎっていたわけです。しかし書いておかないとどうなるか。次に何かあったとき「はてサは予防拘禁を支持した」とか言い出すわけですよ。そうなったときに aminisi 氏は責任とってくれるんですかね? これは妄想でもなんでもなく。現に、既に「はてサは表現規制を主張している」ってことにされちゃってるわけです。
例えば、はてなハイクで延々と hokusyu さんに絡んでいる id:toward-end という人がいます。こんな感じです。

たとえば「toward-endは獣だ!」って誰かがいって、それに対して「獣は檻に入れるべきだね」っていったら、俺は後者に対しても怒る権利があると思うですよ。
「(適当なマイノリティ)は獣だ!」と誰かがいって、それに対して「獣は檻に入れるべきだね」って言う人がいたら、それは大問題だと思うですよ。
「「獣は檻にという言葉自体は何も間違ってない」という言い訳はきかないでしょう。
そういう話をしております。
(http://h.hatena.ne.jp/toward-end/9234091634099539815)

それから、「予防拘禁」ってことばを持ち込んだ人はこんなことを言ってます。

共産主義者はヒコクミン」であるとしましょう。世の中に、治安を乱すような「ヒコクミン」がうろうろしている場合、まっさきに対策されるべきは「ヒコクミン」の排除です。
(中略)
「帝国臣民の平穏な暮らし」がもし「ヒコクミン」のせいで阻害されているとするなら、「帝国臣民の平穏な暮らし」を守るために「ヒコクミン」を駆除するのが正当な手段


ちーん、治安維持法の出来上がり。そういうのを予防拘禁という。
(http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091206/p2)

しかし「獣は檻に」というのはこの社会が現に受けいれているルールであるわけです。守らないと処罰されることもあるルールです。もちろん、その「檻」が“危険な動物と人間とを隔てる”という目的にとって合理的な範囲を超えて抑圧的である場合(狭すぎたり不潔だったり)には別の法律で処罰されたりすることもありますが、手段として合理的な範囲であれば「獣は檻に」で合意されている。
だとすれば問題なのは「獣は檻に」ではなく、誰が・誰に対して(またそれに付随して、なんの目的で)「獣だ」と言っているか、です。それが文脈というものです。そうした文脈を抜きにして「獣は檻に」に文句つけるというのはそりゃ「アニマル・ライツ」の主張ですよ。もっとも「アニマル・ライツ」を主張する人はそもそも日本にトラだのライオンだの連れてくるな、と主張するでしょうが。
「獣は檻に」が文脈によって異なる意味をもつ、なんてことは当たり前。非常に特殊な、多くの読者にとってわかりにくい文脈を想定しちゃったというならともかく、この場合「誰が・誰に・なんの目的で」は極めて明確です。すなわちマジョリティの一員たる渡辺淳一(およびその論理を内面化した曾野綾子)が・自らの属する「男」という集団を・女性に自衛を強いるために「獣」と呼んでいるのです。「○○人は獣だよね→獣は檻に、だよね」なんてやりとりがあったとすれば、それが差別的な主張であるのは自明です。そもそも誰かを「獣」呼ばわりすることを控えねばならないとすれば、それが「獣は檻に」を含意してしまうからです。にもかかわらず「獣」を自称する人間がいるわけです。この「自称」か「他称」かという違いは決定的なものです。「獣」を自称するのがマジョリティに属する男(およびその論理を内面化した女)であってマイノリティに属する者でないのも、これまた決定的な相違です。さらに「獣」呼ばわりが「獣」の自由を制約するためになされるのか、「獣」の潜在的な犠牲者の自由を制約するためになされるのか、これまた決定的な違いです。男(の一部と女の一部)が安心して「男は獣」と言い放つことができるのは、いまのこの社会で「獣としての男」を檻に入れることのできる力が存在していないことを知っているからです。「獣」呼ばわりがマイノリティに向けられる場合にはそうではありません。自分が檻に入れられることはないという安心のうえでなされる自称と、「風向き次第ではあいつらを檻に入れることができる」という力を背景としてなされる他称とを同列に扱うなど、まさに噴飯ものです。
「男は獣だ」と自称する男(およびその論理を内面化した女)は決して自ら「獣は檻に」という含意を引き出しません。他方、「○○は獣」だと叫ぶマジョリティは自ら「獣は檻に」という含意についても語るでしょう。だからこそ、Francesco3 さんは「獣は檻に」と突きつける必要があったのです。