丸激 on 裁判員制度(1)

神保・宮台 マル激トーク・オン・ディマンド

市民が重大な刑事裁判に参加することを義務づける裁判員制度の実施が、いよいよ半年後に迫った。今月に入ってからテレビCMも流れはじめ、月末には裁判員候補者に選ばれた人に対する告知の郵送も始まる。もはや引き返せないところまできているかのようにも見える。
 しかし、これまでマル激で何度となく報じてきたように、現行の裁判員制度は大きな問題点を残しており、人を死刑や無期懲役に処する可能性の高い重大な司法制度の変更がこのまま実施されれば、深刻な問題が起きるとの懸念は根強く残っている。また、この制度だけは、とりあえずまず始めてみて、問題があれば直していきましょう、では済まされない面もある。その間、不当な刑罰を受けたり、場合によっては命を奪われてしまう被告が出てしまう可能性があるからだ。
 そこでマル激トーク・オン・ディマンドでは、2回シリーズで裁判員制度をとりあげ、まず裁判員の問題点を指摘する反対派の論客とともに、その問題点を洗い出した上で、後日推進派にそうした問題をどのように考えているのか、また、それでも裁判員制度を導入するメリットとは何なのかをぶつけるシリーズ企画をお送りする。
 まず2回シリーズの前半となる今回は、裁判員にのしかかる過度の負担、公判前整理手続と裁判の簡略化によって失われる精密司法の伝統や、その結果冤罪や誤判の可能性が高まる危険性、厳格な守秘義務規定によって制度の問題点をチェックできない問題などを洗いざらい議論した。
(後略)

 賛成、反対の双方のゲストをそれぞれ招き、2回シリーズでお送りしている裁判員制度の再検証企画。裁判員制度に反対する新潟大学大学院教授の西野喜一氏を招いての第1回目(第398回・08年11月15日放送)に続き、2回目となる今回は、裁判員制度の導入を支持する法社会学者の河合幹雄氏を招いて、なぜ氏がさまざまな問題点が指摘される裁判員制度の導入を支持しているのかを中心に議論した。
(後略)

まずは反対論を中心とした第398回。
ゲストの西野喜一氏による反対論の論点は次の通り。
(1)必然性、必要性がない
(2)憲法違反のおそれ
(3)審理が粗雑に
(4)国民の負担
その他、当初は消極的だった最高裁が掌を返したように積極的な姿勢に転じている理由として、制度導入に伴い人員や予算を要求できる、誤審の責任を裁判員におっ被せることができる、「客観的真実の追究」という従来のコストのかかる目標を放棄しやすくなる、といった推測をしている。
なお(2)については具体的には現憲法裁判員制度を予想していない、「裁判官の独立」をゆるがすおそれがある、「公平」な裁判を受ける権利を侵害するおそれがある、裁判員になる負担が意に反する苦役になるおそれがある、などが指摘されている。


神保氏担当の取材ビデオでは高村薫と梓澤和幸(弁護士)の両氏が「反対」の立場から、後藤昭氏(一橋大教授)が賛成の立場からコメントしたほか、千葉景子参院議員が民主党の立場を説明。梓澤氏は公判前整理手続きが非公開であるという問題点を指摘、高村氏は"司法への市民参加をいうなら行政訴訟を含む民事から始めるのがスジ”という趣旨の指摘。他方後藤氏は「専門家への信頼」では裁判の正統性を維持できなくなっている、と制度導入の意義を語ったが、これに対しては西野氏が専門家(職業裁判官)への切実な不信なんてあるのか、司法制度改革新議会でもそんな議論は出なかった、と反論。スタジオでの討論では、実際には制度の権威を損なわずに重罰化の要求を満たすための手段なのではないか(職業裁判官なら判例に拘束されるところを、裁判員の意見をテコに重罰化ができる)、との意見。


また裁判員制度のメリットとして(a)透明性の確保、(b)被告人の利益、(c)市民の参加意識(の醸成)などが指摘されているが、裁判員に課された守秘義務がこれらを空証文にしてしまうのではないか、と批判されている。例えば(c)について言えば、実際に裁判員になるのは限られた市民だけであり、しかしその裁判員が自らの経験を公に語ることができないのであれば、市民がその経験を共有できないではないか、というわけである。


その他、宮台真司がラズの「卓越主義的リベラリズム」をひきあいに出してポピュリズムを批判していたが、同時に「推定無罪」の原則に対する無理解という話題に絡めて小室直樹ロッキード裁判批判論に性懲りもなく言及。しかし小室のロ裁判論が裁判の実態をまるで無視している点についてはこちらを参照されたい。