産經新聞に科学部はないのか?

なんというかもう、突っ込みどころ満載である。まずもって、「反進化論」がいま米国で「台頭」しているという認識が間違い。なにをいまさら。アメリカにおける反進化論は浮き沈みはあれど宗教右派の一貫した姿勢であって、インテリジェント・デザイン説(ID)なんてのは創造説の偽装に過ぎない。IDは「従来の反進化論と違って多くの科学者が支持」って嘘つくなよ。まともな生物学者はIDなんて相手にしないって。だいたい、「日本で早くからIDを紹介」しているのが英文学者だって時点でおかしいと思えよ。なにが「思考訓練として必要」だ、よ。思考訓練ってのはIDみたいな似非科学に騙されないためにこそ必要なんだってば。


IDが「神」ということばを使わないのはなぜかと言えば、「神」という語を使えば政治的に不利になるからにしか過ぎない。IDが言う「デザイナー」の概念を従来のもので置き換えるとすると「神」以外にないことは明白じゃないか。それから

「分からない」「神秘だ」と正直に言う方が知的に誠実ではないでしょうか。

なんてのもおよそ(文系とはいえ)学者の言うこととは思えない。分からないことは「分からない」というのは知的誠実さと言えるにしても、「分からない」と「神秘だ」の間の飛躍が理解できない人間にも京大の教授というのは務まるんだな。


ID論者を含む)創造説論者の常套句は“生物の構造の精巧さは、およそ偶然によって生まれたとは思い難い”というものだが、実際には生物学は生物の構造や行動様式がいかに環境に適応しているかだけではなく、いかに「最適」ではないかの事例を数多く発見している。創造説論者お気に入りの眼球を例にとるなら、盲点の存在を挙げることができよう。人間がデザインしたCCDに盲点があるだろうか?


さらに

それに「生命は無生物から発生した」「人間の祖先はサルである」という唯物論的教育で「生命の根源に対する畏敬(いけい)の念」(昭和四十一年の中教審答申「期待される人間像」の文言)がはぐくまれるわけがありません。進化論偏向教育は完全に道徳教育の足を引っ張るものです。

 「人間の祖先はサルだという教育は、生物の授業の仮説ならともかく歴史教育や道徳教育にはマイナスだ」「進化論はマルクス主義と同じ唯物論であり、人間の尊厳を重視した教育を行うべきだ」という議論は日本でも多くの識者から主張されてきた。

といったあたりはもっとも低レベルな「自然主義の誤謬」を平然と侵しており、『ムー』あたりに載るならともかく正気を疑うとしか言いようがない。だいたい、「人間の祖先はサルである」などと言う時点で、話者および引用者の進化論に対する無理解が明白。そういえば『皇帝ペンギン』がアメリカで大ヒットしたのは皇帝ペンギンの生態が一夫一婦制の美徳を説くものとして宗教右派に好まれたからだというはなしをどっかで最近見かけたのだが、この手合いは都合のいい時には人間以外の動物をモデルとして主張し、都合が悪い時には「人間は獣とは違う」って主張するんだわ。『ゾウアザラシ』とか『ライオン』とか『ボノボ』なんて映画があったら宗教右派がどう反応するか、簡単に予想できるもんな。