お知らせとお詫び


行動経済学の入門書などを読んでいると、人間の思わぬ非合理性の例として「まったく使っていないサービスを解約せず料金を払い続ける」というものが挙げられたりしています。かくいう私も心当たりがあるので「おお、なるほど」と思ったりしていたのですが、先日、意を決してその種の契約をいくつか解除しました。
そのなかにパソ通時代から続いていたニフティも含まれていたのですが、うっかり失念していたのです。掲示板はニフティのサービスを利用して開設していたということを……。最近はスパムもまったく来ないのでメンテナンス作業をする機会もなく、どこのサーバーにCGIをおいているかを意識していなかったのが原因かと。
長年、少数ながら熱心に利用してくださる方がおられた掲示板にもかかわらず、このように予告なしに閉鎖するという結果になってしまい、誠に申し訳ございません。お詫びするとともに事後ながらご報告させていただきます。

松橋事件、東京新聞社説

再審開始が確定した松橋事件について、東京新聞10月18日付の社説がとりあげています。

 一九八五年の松橋(まつばせ)事件(熊本県)の再審が決まり、殺人犯とされた男性は無罪となろう。決め手の新証拠は何と検察側から出てきた。再審における証拠開示の明確なルールづくりが必要だ。
(……)
 もう一つは証拠開示の在り方である。二〇一六年に施行された改正刑事訴訟法により裁判員裁判などで全証拠のリストを出す制度になった。だが、再審手続きの場合は制度の対象外である。今回、布きれの開示は偶然の出来事だったかもしれない。


 それを考えると、もはや証拠の全面開示が必要であろう。捜査で得られた証拠は、検察のものだという意識を改めねばならない。
(……)

それ以外にも自白偏重捜査の問題、再審開始決定に対する検察の抗告の問題が指摘されていますが、いずれも松橋事件に限った問題ではありませんね。

『隠された証拠が冤罪を晴らす』

再審における証拠開示に関する特別部会の部会長で、大崎事件の弁護人である鴨志田裕美弁護士が「再審格差」という概念で問題提起したように、いまの日本には再審請求審における証拠開示についての明示的なルールはなく、裁判官が証拠開示に積極的かどうかで大きな違いが生じてしまう。再審弁護に取り組んできた弁護士らによる報告と、シンポジウム等の記録。
とりあげられている各事件について簡単に経緯等は説明されているが、なにぶん手短にまとめられているので、まるきり予備知識がないひとにはわかりやすい本だとは言えない。しかしいくつかの事件について原審および再審請求審における争点をある程度承知していれば、検察の非道さに対する怒りで目も眩みそうになるだろう。

松橋事件、再審開始が確定

 1985年に熊本県松橋(まつばせ)町(現・宇城〈うき〉市)で男性(当時59)が殺害された「松橋事件」で殺人罪などに問われて懲役13年の有罪となり、受刑した宮田浩喜(こうき)さん(85)の再審開始が確定した。最高裁第二小法廷(菅野博之裁判長)が10日付の決定で、再審請求を認めた熊本地裁福岡高裁の決定を支持し、検察側の特別抗告を棄却した。今後、やり直しの裁判が開かれ、殺人罪は無罪となる公算が大きい。
(中略)
 一方、弁護側の請求で検察側が97年に開示した証拠から、「犯行後に燃やした」とされていたシャツの布が見つかり、弁護側はこれらを新証拠として12年に再審を請求。熊本地裁は16年、自白について「体験に基づく供述ではないという合理的な疑いが生じる」と再審を認め、福岡高裁も17年に「犯人とする理由の主要部分が相当に疑わしくなった」と支持していた。
(後略)

袴田事件とは逆に検察側が特別抗告していたものの再審開始の決定が維持されました。
ここで指摘しておきたいのは、この朝日の記事でもそうですが、再審開始確定を伝える記事の多くで「無罪の公算」と報じられていることです。

たしかに再審が開始されれば、少なくとも私が知っているような著名な事件では(免訴となった横浜事件を別とすれば)みな無罪判決がでています。自白の信用性を著しく毀損する証拠が隠されていたことを考えると、なるほど無罪となる公算が高いのでしょう。
しかしそうすると、検察が特別抗告までして再審開始に抵抗していたことは厳しく批判されねばならないはずです。特別抗告審において新たに無罪を確信すべき理由が生じたというならともかく、隠されていた証拠の布の重みは熊本地裁の再審開始決定の時点で十分明らかになっていたのですから。再審開始が決まったとたんにまるで無罪が決まったかのような報道が可能になるというのであれば、再審請求審が事実上は再審として機能してしまっている、ということになります。
この松橋事件に加えて大崎事件、袴田事件など再審請求人が高齢な事件でも検察が再審開始に執拗に抵抗していることをうけ、再審請求審における検察の抗告を禁じるべきではないかという提言もでています(例:西日本新聞社説)。検察が「疑わしきは被告人(再審請求人)の有利に」の原則も尊重せず人道的な配慮もしないというのであれば、法改正により再審開始決定への異議申し立てを不可能とする他ないでしょう。

NNNドキュメント'18放送予定

今年6月、東京高裁が再審開始を取り消した「袴田事件」。
前代未聞の釈放から4年半、袴田巖さんは死刑囚のまま、姉と二人故郷浜松で暮らす。
そんな袴田さんを釈放当日から記録し続けた密着映像。
そこに映るのは、死刑の恐怖に晒され、精神を患い妄想に囚われた姿。
そして自由の中で、再び穏やかさを取り戻していく姿だ。
事件から半世紀、いまだ覆らない死刑判決。
遂に袴田さんは、死刑判決を下した元裁判官との再会を果たす。

最高検が袴田さんの再収監を求める意見書を最高裁に提出していたことが報じられたばかりであることを考えると皮肉なタイトルです。
なお岩波書店の月刊誌『世界』では、青柳裕介氏による「神を捨て、神になった男 確定死刑囚・袴田巖」が連載されています(現時点の最新号で第21回)。いずれ単行本化されればとりあげたいと思っております。

冤罪被害者の会、発足

 呼び掛け人は「布川事件」で再審無罪となった桜井昌司さん(71)=水戸市。桜井さんによると、入会対象は冤罪被害者とその家族、支援者。集会や署名活動などを通じ、捜査機関の収集した証拠の全面開示▽検察側が無罪判決や再審開始決定を不服として上訴できる権利の制限▽全事件での取り調べ全過程の録音・録画(可視化)▽冤罪を生んだ捜査員や取調官の責任の明確化−を実現するための法整備を政府や国会に求めていく。

ここに掲げられている活動目標はいずれも重要なものですが、袴田事件のことなどを考えればとりわけ急務なのが「証拠の全面開示」と検察による上訴の制限でしょう。少なくとも再審開始決定に対して検察が即時抗告を行うことはできないようにすべきです。
このニュースと同じ8月20日、残念なニュースが届きました。

「野田事件」で再審請求中だった青山正さんが亡くなったとのことです。野田事件については過去に以下のようなエントリで言及しています。
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20130723/p1
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20140715/p1
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20140802/p1
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20141220/p1

「未解決事件 File.07」

地下鉄サリン事件が起きた95年は個人的にはなによりも阪神淡路大地震が起こった年で、事件の一報は雨漏りを始めた自宅から家財を運び出す作業をしている真っ最中だったことを今も記憶しています。そのためか、地下鉄サリン事件やその後の捜査等についてはリアルタイムで目撃したという感覚をもつことがいまだにできず、関連書籍や番組などには積極的にはアクセスしてきませんでした。この番組も本放送のときにはスルーしていたのですが、番組表で再放送の予定を見つけた時に思い直して予約しました(5日に再放送のドキュメンタリーのみ)。


さて、この事件の捜査については前々から「オウム犯行説」以外の可能性に目を向けなかったことなどが批判されてきたわけですが、初動捜査を指揮した警視庁・元警視総監が取材に応じ、次のように語っていました(強調、〔 〕内は引用者)。

本来、捜査っていうのは本人〔=被疑者の警察官〕がこういうことを言っているのであれば、それを裏付けるものが出てくるんだけど、何も出てこない。
だからこれ〔=オウム犯行説〕は違うんじゃないのということで、もっと地道な捜査をやらなきゃいかんというんだけども、もうそちらの方にずっと行っちゃってる感じはしましたね。
それはみんなが一生懸命やっているわけだから、途中でブレーキをかけるなんて出来ませんよね。

最初の強調箇所「行っちゃってる」から滲み出す“他人事感”がすごいです。自分が指揮した捜査のはなしですよ。2つ目の強調箇所は少なからぬ人間の危惧を無視してインパール作戦にゴーサインが出た経緯を連想しますね。日本の組織が失敗するときの典型ではないでしょうか。