『黒い証拠 白い証拠 』『虚偽自白を読み解く』

  • BS TBS 2018年07月21日 ドキュメントJ『『黒い証拠 白い証拠 〜袴田事件 再審を問う』

獄中から無実を訴え続けてきた袴田巌さんは、逮捕から48年ぶりに自由の身となった。半世紀後に覆された当時の警察・検察の捜査に本当にねつ造はあったのでしょうか。取り戻すことのできない半世紀の時。事件はなぜここまで長い年月を費やさなければならなかったのか…。番組では事件をめぐる当時の捜査、これまでの裁判の流れを検証し、権力と司法に翻弄された袴田さん、その関係者たちの生き様から「48年の意味」を問いかける。

【制作】SBS静岡放送
http://www.bs-tbs.co.jp/news/documentj/episode/?mid=documentj

5月にSBS静岡放送で放送されたもの。
「黒い証拠」とは被疑者・被告人の有罪を示唆する証拠、「白い証拠」は無実を示唆する証拠のこと。番組ではヤメ検の弁護士が、捜査過程ではかならず両方の証拠が集まっていると解説する。

しかしよく知られているように、「白い証拠」はほとんどの場合表にでてくることはない。なぜか。

裁判官が“間違わずに”有罪判決を出すように……というのが当事者の意識なのだという。
袴田事件の再審請求審では、「履けないズボン」に関して袴田さんに有利な証拠を検察が隠していたことが明らかになった。
第一次再審請求の時にすでに明らかになっていたことなので2014年以降の報道ではあまり触れられていないが、凶器とされたくり小刀についても捜査や裁判所の判断には大きな問題があった。確定判決で凶器を買った店の刃物商夫婦の夫は、くり小刀が凶器と認定されたことにずっと疑問を持っていたという。

袴田さんが店でくり小刀を買ったと証言した妻は、実は袴田さんを目撃していなかったという。

番組は検察が証人を誘導した疑いを指摘。


普通の人が証言台に立たされればやましいところなどなくてもしどろもどろになってしまいかねないから、「証人テスト」自体は不当なこととは言えないが、それもあくまで証人の自発的な証言を助ける限りにおいてのはなしである。

著者にとっては2001年に刊行された『自白の心理学』以来の岩波新書。著者の虚偽自白研究の集大成が新書になった意義は大きい。とりあげられているのは足利事件狭山事件、清水事件(著者は袴田事件をこう呼称する)、名張毒ぶどう酒事件、そして先日再審開始決定が下った日野町事件。
本書の最大の特徴は、虚偽自白ではなく自白撤回後の供述に無実の兆候を見出そうとする議論が第4章で丁寧になされていること。これまでも同様の主張はなされていたが今回、単独の章としてまとめられた。長年の研究の中で、比較的最近前面に出てきた論点だ。
浜田氏の供述分析は当初、書面にされた自白調書しか材料がないという制約のもとで構想されたものだが、いくつかの事件については取り調べの録音が部分的にとはいえ開示され、取り調べの実態に即して供述分析の結果を検証することが可能になっている。本書でもその成果が紹介されているが、とりわけ印象的なのは、第3章で清水事件(袴田事件)の自白調書と実際の取り調べとを対照しているところ。調書の記述のうち袴田さん自身の発言に由来する部分がいかに僅かで、かつ断片的であるかが明らかにされている。


著者は虚偽自白を生む要因として取り調べる側の「証拠なき確信」を指摘しているが、その実態の一端は『黒い証拠 白い証拠 』でも紹介されている。

袴田 この事件と関係ない
取調官 事件と関係ないって どういうことだ? お前さんが関係ないって
    犯人はだれだ それじゃあ
    誰がこの人を浮かばれるようにしてくれるんだ

取調官 お前以外にないじゃないか お前以外に
    お前はそれでも人間か?
    良心があるのか?

取調官 お前は4人も殺しただぞ
    お前が殺した4人にな 謝れ 謝れ、お前
    お前は4人殺した犯人だぞ

これまた著者が指摘してきたように、取り調べが「反省の場」として理解され、被疑者が犯人であることを前提として執拗に道徳的非難と謝罪要求がなされている様子も伝わってくる。

Web世界「袴田事件特集」


岩波書店の月刊誌『世界』のウェブマガジン「WEB世界」が「袴田事件特集」を組んでいます。現時点で、4本のコラムが掲載されています。
大崎事件への取り組みで知られる鴨志田裕美弁護士は、東京高裁の決定やその報道において焦点化されたDNA鑑定ではなく、“履けないズボン”のタグに関する検察の嘘などの「手続的不正義」に的を絞り、それだけでも再審開始の理由になると指摘されています。

本日のホラー


本日、といってももう昨日ですが。買い物に行って鮮魚売り場を通ったら、イイダコかと思うようなサイズの「明石産 真ダコ」が売られている。タコと言えば鯛と並んで明石近辺の瀬戸内海を代表する水産資源なのにこのざま。一昔前ならアサリとしても「小ぶりかな?」と思ったであろうサイズのハマグリも売られている。どちらも、とてもじゃないが手を出すきになれない代物だ。たとえ「どうせ私が買わなくてもすでに死んでいる/じきに死ぬ」のだとしても。
なにぶん高齢化が進んでいる昨今だから、売り場には私と同年輩かそれ以上の世代の客がうようよいる。彼らは自分の記憶にあるはずのかつての鮮魚売り場と比較したりはしないのだろうか? 阪神間でも明石よりモロッコ産のタコが幅を利かすようになって久しいが、タチウオの産地が「オマーン」となっているのをどれだけの客が気にしているのだろう。
小難しい本など読まなくても、鮮魚売り場で目を見開いているだけで、水産資源の危機はわかるはずだ。20年前、30年前を知っている世代にはそれを意識した消費行動をする義務がある。

日野町事件、再審開始決定

 滋賀県日野町で1984年、酒店経営の女性(当時69)が殺害された「日野町事件」で、大津地裁(今井輝幸裁判長)は11日、強盗殺人罪無期懲役が確定し、服役中に病死した阪原弘(ひろむ)元被告(当時75)の再審開始を認める決定を出した。

再審開始の決め手となったのは次の2点です。

 第2次再審請求では、阪原元被告が金庫の投棄現場まで捜査員を案内したとする「引き当て捜査」の写真ネガを検察側が開示。現場にたどり着くまでが写真19枚で「再現」された実況見分調書が作られ、自白の信用性を裏付ける証拠とされてきたが、このうち8枚が帰り道で撮られた写真と判明した。

またしても検察が不利な証拠を隠していたわけですね。

 また、弁護団は殺害方法に関する専門医の新たな鑑定書も提出。「自白の方法では遺体の首に生じた圧迫痕などを説明できない」と訴えていた。

こちらは自白偏重、というより「自白があるという事実偏重」で、客観的証拠と自白の齟齬を軽視した誤り、ということになろうかと思います。
なお再審請求審の争点については、決定が降る前に京都新聞が比較的詳しく整理しています。

また時事通信が配信した決定要旨は次の通りです。

録画していてこの事態

 4月に大津地裁で開かれた殺人未遂事件の裁判員裁判で、滋賀県警の取り調べが「どう喝に準ずる」として、検察側が証拠提出した警察官調書を一部撤回していたことが9日、関係者への取材で分かった。取り調べは録音・録画されており、可視化された証拠書類の不採用は珍しいという。
(中略)
 伊藤寛樹裁判長は「威圧し、どう喝に準ずるほどの言葉で、警察官が欲する答え以外の供述をするのが著しく困難だった」と指摘し、検察側は証拠提出していた警察官調書を一部撤回。地裁は、検察官調書も証拠採用しなかった。
(後略)

録画されていて、場合によっては裁判で録画が証拠になることがわかっていてこれなんですから、可視化されていない取り調べで一体何が行われているか、想像に難くないですね。

痛恨の記憶喪失!


先週の記事でジャーナリストの児玉隆也(故人)がイタイイタイ病の「カドミウム原因説」へのバックラッシュ記事を書いていたことについて「驚きました」と述べたのですが、なんと8年前にNNNドキュメントがやはりイタイイタイ病をとりあげた際、コメント欄で gansyu さんにこの児玉記事のことをご教示いただいていたということが判明しました……。
これはやはり責任をとって、当該記事を読まないといけないですね。旗本偏屈男さんにご教示いただいた批判本もあわせて。

「清と濁 イタイイタイ病と記者たちの50年」


6月10日に放送された(再放送6月17日)NNNドキュメント'18の「清と濁 イタイイタイ病と記者たちの50年」、通常の30分枠なのが残念に思える内容でした。

長年イタイイタイ病を取材してきた元記者のこの言葉、他の様々な問題にも通じますね。
ところで、三井金属鉱業を相手取った訴訟で患者側が勝訴した後に出てきた「カドミウム原因説」否認の動きとして紹介されていた『文藝春秋』1975年2月特別号の記事の執筆者が児玉隆也だったので驚きました。そう、74年に「淋しき越山会の女王」を同誌に寄稿、立花隆の「「田中角栄研究−その金脈と人脈」とともに田中退陣のきっかけをつくったとされるフリーライターです。調べてみるとこの「イタイイタイ病は幻の公害病か」が遺作だったようです。