『壊れる男たち』


ツイッターでこの本が話題になっているのを見かけたので、旧ブログの記事をサルベージ。初出は2006年4月7日。)


著者は東京都の「女性相談窓口」などで労働相談の仕事に携わっていた労働ジャーナリスト(43年生まれ)。セクシャル・ハラスメントに“加害者男性の実存”という観点から切り込んだ本。
もともとひどいはなしを集めた本だから、それを読んでいやな気分になるのは自業自得ともいえるが、まあ後味は悪いです(もちろん、それは著者のせいではない)。興味深いのは、とりあげられた事例の加害者男性がそろって、男性である著者に対してホモソーシャルな共感に訴える弁明をすること(「男だったらわかるでしょう、女というのは○○なもんですよ」)。それが通じないとわかったときの加害者のうろたえぶりは滑稽でもあり醜悪でもあり情けなくもある。

ところで問題は、タイトルが示唆している認識……セクシャル・ハラスメントが近年増加・悪質化しているという認識の妥当性。「セクシャル・ハラスメント」という概念が“輸入”される以前の実態についてはきちんとした調査もないだろうし、暗数の多いトラブル(というか犯罪なのだが)だからなかなか実態はわからない。“昔はもっとひどかったんじゃないか”とする根拠もいくつか思いつくし、反対に“実は昔はさほどひどくもなかったんじゃないか”と推定する根拠もいくつか思いつく。ただ、昨今の雇用の流動化で中年男性のストレスが高まっていることが、セクシャル・ハラスメントが(社会問題として認知されているにもかかわらず)後を絶たないことの背景ではないか…という著者の仮説にはそれなりの説得力を感じる(雇用の流動化は同時に、女性が簡単には離職できなくなることをも意味するので、これもまたセクハラの誘因となろう)。

ともあれ、非婚化・少子化の原因を若者(特に男性)のコミュニケーション能力にもとめる仮説がデタラメだという私の主張は、この本によっても裏付けられる。被害女性におのれの勝手な妄想を投影するだけでろくにコミュニケーションできない中高年男性(妻帯者)の実態(もちろん、全員というわけではない)がよくわかるから。

もうひとつ、本書の中心的な主題からは逸れるが、ひどいなぁと思ったエピソード。とある案件で加害者、被害者の勤める企業の人事部長と(被害者を交えて)面談した際のこと。多くの場合企業が加害者社員をかばうのに対して、このケースでは人事部長があっさりと加害者への厳しい処分(解雇)に同意したので著者もびっくりする。そこで明らかにされる事情とは…

 ―いや、彼にはいろいろ問題がありましてね。もうお気づきかもしれませんが、彼はラインをはずれた部長で、部長といっても部下なしなんですよ。定年待ちポストというヤツで、部下代わりに派遣社員をあてがっている……。

要するに、派遣社員は窓際族をあやすためのおもちゃだ、というのである。いっけんしたところセクシャル・ハラスメントに厳しい態度をとっているようにみえて、派遣社員への眼差しという点では加害者社員と五十歩百歩である。