「悲しみ綴る中国の女文字」


昨年の暮れに朝日新聞が中国の「女文字」に関する記事を掲載した。ネット版が幸いまだ残っている。

 女性だけに伝わる、世界でも珍しい文字が中国にある。教育を受けられず、漢字の読み書きができない女性が、自分たちの気持ちを詩文に託し、慰め合う手段として使ってきた「女文字」だ。その美しさに魅せられ、研究・調査を続けてきた元文教大教授の遠藤織枝さん(72)が、関連する貴重な資料を国会図書館に寄贈した。
(後略)

昨晩、MBSの「映像'11」で「女文字」と遠藤元教授をとりあげた番組「悲しみ綴る中国の女文字」が放映されていた。

東京の国立国会図書館にある木綿布の小冊子が所蔵されている。小冊子には、聞きなれない「女文字」が記されている。「女文字」は、中国の農村部に住む女性だけが使い受け継がれてきた。20年近く前から現地で調査しきた元文教大学教授の遠藤織枝さんは「女性たちが、封建社会での苦しみや悲しみを密かに文字に託した貴重な資料だ」という。「女文字」に秘めた中国の女性たちの心の奥をみつめる。

現存する三朝書が多くないうえ、1時間枠の番組ということで無理もない面もあるが、「「女文字」に秘めた中国の女性たちの心の奥」についてはほんのさわりを紹介したといった程度で、やや物足りない。他方、「女文字」を伝えてきた地元江永県で近年「女文字」の観光資源化がすすんでいるという現況についての部分は興味深かった。真正の三朝書の資料価値を強調し観光資源として新たな「女文字」作品がつくられることに否定的な遠藤元教授と、観光資源化により文字の伝承者は報酬を得ることができると反論する県の関係者。もはや歴史的使命を果たし、生きた文字としては機能していない「女文字」を観光資源として残すことに意味はあるのか? という疑問は理解できるが、さりとて“資料が残っていれば「女文字」が消えてしまってもいい、しかたない”という遠藤元教授の立場は研究者の僭越ではないか? とも思う(真正な三朝書は現代になって新たにつくられたものとはきっちり区別して保存すべき、というのは当然として)。「国民の歴史」からは抜け落ちてしまいがちな「封建社会での苦しみや悲しみ」を現代人が学ぶための手がかりとして伝えてゆく、という途もあるのではないだろうか。