「一部」ならまだやらない方がマシ

 厚生労働省元局長の無罪が確定した郵便不正事件の捜査や公判の検証を進めている最高検が、年内に公表する検証結果の中に、特捜部の事件で取り調べ過程の一部を録音・録画(可視化)する再発防止策を盛り込む方向で最終調整していることが分かった。同事件の公判で「取り調べに問題があった」として供述調書の証拠採用が却下されたうえ、大阪地検特捜部の主任検事による証拠品改ざんが発覚したことなどから、信頼回復のためには取り調べ方法を見直す必要があると判断したとみられる。
(後略)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101203ddm001040006000c.html

取り調べる側が録画する部分を自由に選べるのであれば、部分可視化はむしろ冤罪をつくるための武器になりかねない。現に、「足利事件」の取調べテープは「むしろ穏やかな部類に属する」取調べの様子を記録しており、それだけを聴くとむしろ自発的に自供しているかのような印象を与えかねない、と指摘されていた
それくらいならむしろ密室での取調べを続けて、裁判官にはあくまで「所詮密室での取調べでつくった調書」という認識の下に任意性、信用性を評価してもらった方がまだマシではないか。


追記:どうしても全面的な可視化は出来ない、録画されていてはデリケートな事柄についての供述を得られない……と捜査当局が言い張るのであれば、こういう方法もあろう。(必要とあらば任意での取調べを含めて)とにかく容疑事実について「私がやりました」と認めるまでは完全に録画する。それ以降は、取調員の判断ないし被疑者の要望によって録画を中止することが出来ることとする、と。これならば、少なくとも「やってもいないことをやったと言わせる」ような取調べがあったかどうかはチェックすることが出来るだろう。動機など情状に関わる事柄について被疑者の不利になるような誘導・強制が生じることまでは防止しきれないにせよ。
他方、組織犯罪の場合には被疑者の側に「本当のことを話してすっきりしたい、しかし組織内での立場のことを考えると喋るわけにはいかない」というディレンマが生じることが多いだろう。その場合、「密室」での取調べでは自白しておいて公判では否認し「調書はでっち上げ」と主張する、という戦術はある程度このディレンマを回避する手段となる。裁判官も事情を汲んだうえで調書を証拠として有罪判決を下せば、被告人の組織内での立場を完全に崩壊させることなく犯罪そのものは罰することが出来る、というわけである。有罪の立証が供述に依存する割合の高い贈収賄事件などではこういう“お約束”がうまく機能するケースも多々あったであろうことは一概に否定できないだろうが、それが冤罪というリスクをはらむ手法であったことを明らかにしたのが郵便不正事件だったわけである。これについては、もはや部分可視化といった姑息な弥縫策ではなく、司法取引や実効性を持つ証人保護プログラムの導入といった正攻法で取り組むことを考えるべき時が来ているのではないだろうか。