どういう「得」があるのか

asahi.com 2009年3月9日 「出頭のカルデロンさん父を強制収容 母は仮放免延長」(魚拓
J-Castテレビウォッチ 2009/3/10  「テリー「両親は子離れしないと」 フィリピン少女の父収容」(魚拓
「べき論」はすでに何人かの方が語られているので、ここでは入管及び法相の判断を支持することでどんな「得」があるのか、という観点から。
「この原則をいい加減にすると、もっと問題が大きくなる」(宮崎哲弥)っていうけど、なにがどう「大きく」なるのか? 「不法入国」の外国人というと「犯罪が…」と言い出す向きもあるが、十数年もの間、居住地の蕨市議会が一家の在留特別許可を求める意見書を可決する程度に「善良な市民」として暮らしてきた不法入国者に対して、「不法入国に変わりはないから出て行け」というメッセージを送るのと「これまでの実績に鑑みて仲間として扱いましょう」というメッセージを送るのとで、どちらが“治安維持”上好ましいだろうか*1。不法入国がばれるまでに手段を問わず手っ取り早く稼いでおこう…というモチベーションを強化するのはどちらだろうか。この社会が人口過剰で苦しんでいるならともかく、むしろ人口減がもたらす問題に直面せねばならないという時に。
またスジ論から言えばまったくの別問題ではあるものの、拉致問題の解決のために国際社会の共感を獲得せねばならない時に、“家族を引き裂く国家”というイメージを与えることは、控えめに言ってもプラスにはなるまい。


それにしても「両親は子離れしなければだめですよ」はひどいな。なんだそりゃ。

*1:基本的人権に関わることは“素行”によって左右されてはならないのは言うまでもないが、ここではそれとは別の観点から考える、ということで。