『もうひとつの「帝銀事件」』
本書はそのサブタイトルが示す通り、2015年11月に行なわれた「帝銀事件」20回目の再審請求*1にあたって提出された鑑定書を再編集したものです。もう一つの「帝銀事件」とは、12人が毒物で殺害された「帝銀事件」とは別の、平沢貞通という人物が巻き込まれ逮捕から39年後に獄死することとなった事件、「平沢貞通事件」(13ページ)を指します。
内容的には(1)目撃証言の心理学的検討、(2)平沢元死刑囚が(虚偽)自白に陥るまでの過程の心理学的検討、そして(3)自白から否認に転じるプロセスの心理学的検討、が3本柱となっています。(3)が独立した論点として設定されているのは、周知の通り平沢元死刑囚にはコルサコフ症候群の発病歴があり、そのため否認に転じて以降に行った「なぜ自白したか?」に関する説明の理解が歪められてきたと筆者は主張しているからです(「見逃されてきた平沢の正常性」)。
特に印象的だったのは2点。まずこの事件では平沢以前に被疑者となり「自白」までしたのにその後容疑が晴れた人物がおり、平沢公判にも証人として出廷しています。この事件の捜査、裁判に関わった司法関係者はまごうかたなき虚偽自白の事例を前にしながら、平沢については虚偽自白の可能性を真剣に検討することなく法的手続きを進めていったことになります。
また変遷が甚だしい目撃証言に対する確定判決の証拠評価は恐ろしく杜撰で、現在であればそもそも有罪判決は下せないのではないか、と思わされました。筆者は刑訴法第317条をもじって「証拠は、事実の認定による」という反転が生じていた(76-77ページ)と指摘します*2。にもかかわらず一旦有罪が確定すると、「再審」という高い壁が立ちはだかることになるわけです。