「逮捕」を当たり前のことにしないために必要なこと
- asahi.com 2011年9月23日 「強盗殺人の疑い元作業員再逮捕 別府秘湯殺人で 大分県警」
大分県別府市明礬(みょうばん)の秘湯に近い雑木林で昨年9月、温泉巡りをしていた神戸市垂水区の看護師、横手宏美さん(当時28)が他殺体で見つかった事件で、大分県警は23日、大分市出身の元建設作業員、安藤健治容疑者(33)=死体遺棄容疑で逮捕・起訴=を強盗殺人容疑で再逮捕し、発表した。安藤容疑者は「殺したことは間違いない。横手さんに申し訳ないことをした」と容疑を認めているという。
(後略)
9月11日の「原発やめろ!! !!!デモ」において12名が逮捕され、デモ現場にしか存在しなかったはずの“証拠”を求めて噴飯ものの家宅捜索令状まで出されたことは記憶に新しいところですが、本日(23日)行なわれた「差別・排外主義にNOを!9・23行動」においても逮捕者が出たとのことです。公安にとって最大の関心事は国家に対し「ノー」と言う人間・組織に関する情報ですから、逮捕に値する事実なんてなくても逮捕したい時には逮捕する(反対に、情報を把握している組織の場合には、逮捕に値する事実があっても平然と見逃したりする)ものです。したがって「警察の挑発にのるな」「警察を敵視するな」に類する“戦術指南”はせいぜい小手先の対策にしかなり得ないものです。
さて、冒頭で引用した記事は、固有名詞を消し去ってみれば殺人事件の報道としてありふれたものです。しかしながら、“殺人を犯した家族や知人に遺体の処理の手伝いを頼まれる”とか“望まない妊娠をしたのち死産した赤ん坊の遺体を捨てる”といった特殊なケースを別とすれば、遺体を遺棄するのは通常殺人を犯した本人(たち)です。この事件にしても、警察が当初「この男は遺体を遺棄しただけだろう」と考えていてその後「やっぱり殺したのもこの男かもしれない」と考えを改めた、なんてことはおよそ想像しがたいことです。また、先に容疑が固まった件から順に逮捕してゆくのだとすれば、「死体遺棄で逮捕→殺人で再逮捕」という報道だけでなく「殺人で逮捕→死体遺棄で再逮捕」という報道だってちょくちょく目にしてもおかしくないはずですが、私が記憶している限り後者のような報道にお目にかかったことはありません。
死体を遺棄した疑いがあるのならたいていの場合同時に殺人を犯した疑いもあるはずなのに、そして犯罪としての重大性で言えば殺人の方が死体遺棄よりもはるかに上であるのが普通なのに、「死体遺棄で逮捕→殺人で再逮捕」というパターンが定着しているのはなぜか? といえばもちろん勾留期間を稼ぐために他なりません*1。そして勾留期間を稼ぐのはもちろん自白をとるためです。ところが、マスコミ報道では次のようなとぼけた記事が当たり前のようになっています。
別府秘湯殺人事件 逮捕の容疑者、死体遺棄認める供述
大分県別府市明礬(みょうばん)の秘湯に近い雑木林で昨年9月、温泉巡り中の神戸市垂水区の看護師、横手宏美さん(当時28)が他殺体で見つかった事件で、死体遺棄容疑で先月逮捕された大分市出身の元建設作業員安藤健治容疑者(33)=川崎市川崎区=が容疑を認める供述をしていることが12日、捜査関係者への取材で分かった。捜査本部は物取り目的で殺害した疑いを強めており、近く強盗殺人容疑で再逮捕する方針。
(後略)
(http://www.asahi.com/national/update/0912/SEB201109120084.html)
死体遺棄の容疑で逮捕した以上捜査当局は死体遺棄についての供述しか求めておらず、その一方で殺人(強盗殺人)についても疑いが深まっている……かのような、摩訶不思議なストーリーが平然と語られているわけです。もちろん、殺人や強盗殺人の容疑があればそれが厳しく追及されるべきなのは当然です。しかしながら、当初から殺人ないし強盗殺人を本丸として捜査しているくせに「まず周辺的な容疑で逮捕→本丸で再逮捕」といったマヌーバーが当たり前のように用いられ、マスコミもそれに毛スジほどの疑問も呈さず報道する、しかもそれがルーチン化している、ということにわれわれはもっと驚くべきではないでしょうか? 「殺人事件だから」といって刑事警察における「逮捕」のこうした運用を看過してしまうことと、公安による恣意的な逮捕がまかり通ってしまうこととは地続きなのです。