阪神間からの緊急消防援助隊第1次隊、帰任(追記あり)


今日17日の朝日新聞(大阪本社)朝刊が、阪神間などからの緊急消防援助隊第1次隊の帰任を伝え、あわせて隊員の声を紹介しています。

 尼崎市消防局の隊員21人は宮城県で生存者を捜した。14日に入った同県山元町は、高台に上がると、倒れかかった木が見えるだけで、一面がれきだったという。(中略)
 生存者を捜し、「地面が見えるまで掘り起こせ」とがれきを撤去し続けたが、見つかったのは住まいから何キロも離れた場所の一遺体。同町に入っていた愛知県の隊も数体の遺体を収容しただけだったという。(中略)
 宮城県南三陸町には芦屋、西宮、伊丹、宝塚各市の隊も入った。車や船ががれきに乗り上げ、海岸から1キロの2階建ての消防署ものみ込まれていた。4階建ての建物の屋上には廃材が載っていた。
 芦屋市の藤原茂・消防司令補(49)は「町は全滅。本当にショックだった」と話す。「阪神大震災のときは「壊れた建物の下に人がいる」との想定で活動できたが、建物自体が流されており、「どこに人がいるのか全く見当がつかなかった」。生存者は見つけられなかったという。「まだ捜索は始まったばかり。ライフラインも復旧させなくては」。
 西宮市の隊員も人命救助の機会がなかった。田中正和・消防司令(44)は「阪神大震災を経験して建物倒壊に対する用意はあったが、津波の被害はもっとすさまじく広範囲。水の力は恐ろしい」。電気が止まり、大津波警報も把握できないほどで、情報の途絶を感じたという。
 伊丹市消防局の林忠年・警防指令(42)も「阪神と被害の質が違う。どこもがれきで、水没したところも多く、非日常の世界だった」と振り返った。(中略)
 一方、兵庫県警から出動した108人も16日、岩手県釜石市から帰任した。責任者の播磨弘隆・機動隊副隊長は「被災者の多くはぼうぜんとした状態。活動の途中で、後ろ髪を引かれる思いで戻った」。12日夕から14日夜まで自衛隊と生存者を捜し続け、倒壊した家屋から80代の女性1人を救出したという。(後略)

年齢とコメントから判断して阪神・淡路大震災の際にも消防士として救援にあたったと思われる方々の口から聞くと、被害の甚大さと津波被害の場合の救援の困難さがいっそうの重みをもって伝わります。
阪神間から出動した援助隊の隊員はとりわけ意気込みも高かったと思われるだけに、思うように救出できなかったことが心理的な負担になることが危惧されます。各市消防局、県警は隊員のメンタル・ヘルス−−普段は安易に口にしないようにしている言葉ですが−−に万全の注意を払ってもらいたいと思います。


追記:読売にも同趣旨の記事が出ていました。

 阪神大震災を超える死者・行方不明者を出し、戦後最悪の災禍となった東日本巨大地震。被災地での捜索はいまも難航している。


 大津波で壊滅した宮城県南三陸町では、阪神大震災で救助にあたった神戸市消防局の隊員らが救助活動を続けているが、生存者の救出、遺体の発見はゼロ。巨大津波が家屋をのみ込み、不明者がどこに流されたか見当もつかないからだ。
(中略)
 神戸市からは消防局特別高度救助隊の第1陣6人が地震後に現地入り。現在、活動しているのは15日に現地入りした第2陣6人。いずれも、阪神大震災で救助活動に携わったベテランぞろいで、兵庫県自治体が派遣した緊急消防援助隊兵庫県隊の中核だ。


 「70歳代の女性が行方不明になっている」との情報で、救助隊が16日午後に出動したのは、湾の奥に面した町中心部の志津川地区。


 一面が津波に洗われ、壊れた家やがれきが泥の中に広がる。女性の家はどこにも見あたらない。


 ようやく見つけた家は800メートルも山側に押し流されていた。1階はつぶれ、がれきを取り除きながら、2階の床板を剥がしたところで日没となり、この日の捜索は打ち切られた。


 救助隊は、がれきに埋もれた人の声を電磁波で探知する「地中音響探知機」や、がれきの下の呼吸を感知して生存確認できる「二酸化炭素探査装置」を特別装備している。ピンポイントでがれきの下の生存者を見つけ出す最新機材だが、今回は出番がほとんどない。


 現場は津波で押し流された建物ががれきとなって山積している。救助隊は「捜索範囲が広すぎる。機材を使う場面にすら遭遇しない」と、市消防局に報告する。


 阪神大震災では、家屋が倒壊したり全焼したりしても、被災者はその場で発見されることがほとんどだった。どこを捜せばいいのか、はっきりしていた。


 井上隊長は「家を見つけても、被災者が流されている可能性もある。壊れた家の下に住民がいた阪神大震災とはまったく違う」と、活動の難しさを語った。
(後略)