アメリカからみれば・・・


なんかなし崩しにこっちでの更新始めちゃってますが。

 1983年2月にエトー氏が銃撃された後すぐシカゴなどに出向き、彼の軌跡を調べ「遥(はる)かなニッポン」というノンフィクションの書の主要な一章としたのだった。


 だから当時、「エトーは犯罪者とはいえマフィア内部では忠誠とか献身という古典的なニッポンの資質を発揮しました」などと私に告げたシカゴ地検の特捜検事が、二十数年後のいま、スクリーン上での回想で同じ趣旨を語るシーンには思わず身を乗り出した。

アメリカ市民からみれば日系マフィアというのは「人の国にやってきて犯罪ばかりする不逞外国人(移民)」だよな。日本にいる(来る)外国人組織犯罪者だって組織内部では「忠誠とか献身」という資質を発揮してるんじゃないの?


余談だけど個人的にバカ受けしたことがあるので紹介しておく。

ここまでのところで、嘱託訊問調書の証拠採用にかかわる論点については、すべて論じつくした。話を次の論点に移す前に、この関連でもう一つだけ論じておく。それは、山本七平氏による「角栄裁判論争への『答案』」(『諸君!』八五年一月号)についてである。
 その中で、山本氏は、アメリカで行われたマフィアの裁判を例にとり、同じ免責証言を証拠とする裁判ながら、日本とアメリカにおいて、免責証言の扱いがどれほど違うかを論じておられる。
 これが困ったことには間違いだらけなのである。あまりにひどい間違いなので、ここで訂正しておこう。
 とりあげられた事件は、八三年二月にシカゴで起きた日系二世のマフィア、ケン・エトーに対する殺人未遂容疑で、古森義久氏の『遥かなニッポン』の中で取り上げられているものである。
立花隆、『ロッキード裁判批判を斬る(3)』、朝日文庫、299-300頁)

思わぬところでこもりんと偽ユダヤ人のロッキード裁判論争上での出会いが実現していたわけです。
なお山本七平の議論のどこが「間違いだらけ」か、についても主な点に絞って簡単に。
・山本は裁判所が(あるいは地裁判決擁護派が)「『刑事免責を受けて宣誓したのだから、コーチャン、クラッターの証言に嘘があるはずがない、だから角栄の有罪は動かしがたい』などというバカバカしい論理」で動いているかのようなバカバカしいことを言っているが、むろんそんなことはない。コーチャンらの証言は他の証拠と符合するが故に信憑性があると判断されたのだ。
・山本は『五億円を目撃したものはだれもいない』などと、例によってロッキード事件にはコーチャンらの証言以外にろくな証拠がないかのような嘘をついているが、実際には田中以外の被告が捜査段階では完オチしているのに加え、公判でも丸紅側の被告は程度に違いはあれ全面否認はしていない。特に大久保被告は捜査段階での自白をほぼ公判でも繰り返している。有名な「ピーナッツ」「ピーシーズ」領収書のような物証もある。
アメリカではマフィアの取り締まりのために既存の法律を最大限利用する(その代表が所得税法)工夫が行われたし、免責制度の成立もマフィア対策としての側面をもつ、という歴史的経緯を無視している。
細かなところを指摘すればまだあるのだが、これで十分だろう。南京事件否定論が生き続いているのはネットの特性によるのでも「ポストモダン」的状況によるのでもなく、こういうインチキに日本の言論「市場」が甘いからなのである。