本当を言えば政治的でない国事行為なんてない
小沢一郎にせよ鳩山由紀夫にせよ、仮に自民政権時代に同じようなことがあっても本気で問題視したりはしなかったんだろうな、と。「政治利用」ではなく「気に入らない利用法」に怒るだけで。
国会の開会とか閣僚の認証式のような定型的な国事行為であっても、実のところはバリバリに政治的だ。「福島瑞穂は認証式でお辞儀する(した)のか?」なんてことが話題になったり、古くは松本治一郎の「カニの横ばい拒否事件」なんてのもあったし。もちろん、象徴天皇制を積極的に支持する人々にとっては「あからさまに政治的な国事行為(およびそれに隣接する行為)」と「ほとんどの人間が政治性を見ないことにしている国事行為(およびそれに隣接する行為)」の区別は重要なのだろうが。
追記:cf. deadletter さんの「「政治性」への感性について」
また、毎日新聞の15日付の記事「天皇特例会見:戦後日本の「懸案」露呈 小沢幹事長・宮内庁長官、かみ合わぬ批判合戦」にも次のような指摘がある。
ただ、天皇に関しては、特に外交面では訪米や訪中のタイミング、中国や韓国の首脳を迎えた際の「お言葉」など、もともと「政治」から無縁であり得なかった事情がある。「政治利用はいけない」との建前だけで乗り切ろうとすることの危うさも今回、垣間見えた。
14日に国会内で開かれた神道政治連盟国会議員懇談会(会長、安倍晋三元首相)で伊吹文明元財務相は「日本統合の(象徴である)天皇陛下の動向について、政治的多数をもって勝手なことを言うのは絶対に許してはいけない」と強調した。「陛下の政治利用」を批判して政権を追い込む狙いだ。これも政治と無縁とは言えず、問題は複雑だ。