犯人に「なる」


『自白の心理学』(岩波新書)の第3章では仁保事件(1954年に山口県で起きた一家6人殺し)における被疑者(のち被告)の供述がとりあげられている。有力な手がかりを得られなかった警察が、住居侵入と窃盗未遂容疑で全国に指名手配したあげく別件逮捕した被疑者(近隣出身で前科があった)に“自白”させ、一審で死刑判決、高裁は控訴棄却、最高裁で高裁へ差し戻し、そして逮捕(55年)から17年経った72年に無罪判決が下り、検察の上告断念によって無罪が確定した。
この裁判では取調べの様子を録音したテープ33巻が検察によって証拠として提出されており、どのような取調べが行なわれたかを直接知ることができる、という意味で貴重な事例であるとされている。ただし、殺人事件についての本格的な取調べが始まってから最初の9日間の録音テープは存在しておらず、録音されている期間についてもその日その日の取調べの全過程が録音されているわけではない。すなわち、被疑者がそろそろ“落ちそう”だと感じた時点から録音が始まっており、かつ警察・検察に都合の悪い部分は録音されていないかされていても証拠として開示されていない可能性がある、ということに留意していただきたい。
以下に引用するのは、録音が開始されてから3日目、被疑者が“落ちて”からの供述である。強調はすべて引用者による。

 岡部〔被疑者〕 このたびの、まあ、仁保のYの家の、その六人殺しというふうな、まあ事情について、自分が大阪を出てから、こっちへいつ帰っていったということを、まあ、申し述べておいて、おいたんですが、……ほいからそのいまYの家のかんじんなところの話になってくるんですが、ほいで、うそっていうことはいかに言いづらいかということを、まあ自分としては、その話のしようがないようなって、それがあんまりにも、まあ皆さんから期待かけられて情ようしてもろうたので、そこがはしからはしからつろうなったんですが、まあ私は、これをひるがえすっちゅう、その意志のもということもないんですけれど、Yの家を後ろから入って前に出た。前へ入って横から入ってまた裏へ出たと、ほいから朝何時に、結局出て行ったと、ほいてどういうものを持って出た。どういうもので殺害していったかと、まあこれが一番大事なことだろうと思いますけれど、それを、こりゃまあ、どうしても言わにゃならんことだから、話さにゃならんことになっとる。ほて、(車の音)いままでまあ刑事さんから追い詰められて、一人の立場になってきとるですが、それでこれを結局どういうふうにまあ期待にそおうと思うて、非常にまあ苦労してきたわけなんですが、そりゃ、私がまあ、つべんこべん言うことはないんじゃけど、まあ犯罪捜査もこれは捜査される以上に非常におかしいことをしたと思うて、これは叱られるのを覚悟の前でいま言いよるんじゃが、そりゃ、こないだから、その気になっても相当みましたです。その気になって、ぐっと考えてみて、一等役者みたいなこともやってみたら、まあこれを否認する、要するに隠すというわけではないんだけど、あの家を、結局、浅地の牧川ですか、牧川の家を、Yのうちを、まあ上からか下からか言われたんですが、事実をいうたら、私にはその家そのものがわからん、ほいで裏から入って、持って言ったいうたら、またどういうふうになるじゃろか。違やあすまあか。表から入った言うたらえかろうか。しかし家の内に表から入る者はない。必ず裏から入るじゃろう。裏から入って裏へ出るか。で、指紋とられるときに開き戸を引っ張るような格好を何べんも指紋をとられたから、開き戸があったにちがいない、というようなこともまあ自分でいろいろ、この考えてみたんだが。よし、おりゃ犯人になったろ、犯人だ。犯人になったんや、おれがやったんや思うて、ものすごい自分で犯人になりすまして、方法とってみたんですけど、いよいよ最後になって。
(『自白の心理学』、135-136ページ)

浜田氏によれば、ここで取調官が(否認に転じたと疑って)割って入っている。
実はこの被疑者は被害者宅を知らず、また事件の前に故郷を出奔して大阪で廃品回収をして食いつないでおり、ラジオももたず新聞も見ることもなかったため、逮捕された時は事件の発生自体を知らなかった。“犯行を認める”ためには大阪から故郷へ戻ったことにしなければならないのだが、いつ戻ったことにすれば良いのかすら、分からなかったのだ。引用中に「指紋とられるときに開き戸を引っ張るような格好を何べんも指紋をとられたから、開き戸があったにちがいない」とあるような具合に捜査官の反応をたよりに見当をつけつつ“自白”を始めたものの、行ったことも見たこともない現場での犯行を語らざるを得なくなって、途方に暮れてしまったのである。


いま、われわれが、「虚偽自白の研究」という文脈で上の供述を読むなら、これはよほど図太い男であるというのでない限り無実の人間が無理矢理自白させられているとしか思えない。しかし取調べにあたる側は怨恨と物取りの線でしらみつぶしの捜査をし、消去法で唯一人残った容疑者だという思いがあるから、「ぬけぬけとまた否認しよる」としか思えなくなっているのである。


では、無実の人間に「犯人になったろ」と言わしめたのはどのような取調べだったのか。(続く)