来年の抱負
実生活ではまだ年越しの準備を初めてすらいないのにいい気なものですが・・・・・・。まだ気づいている方が少ないうちに書いてしまおう、と(笑)
これはいついつまでに・・・というよりは1年がかりの作業になると思うのだが、改めて浜田寿美男・奈良女子大学教授の「取調べ」についての研究をきちんと読み直して紹介していきたい。
「供述分析」と呼ばれる作業をその意義が伝わるように紹介するのは大変手間がかかるので、これまでは通り一遍の言及しかすることができなかった。後者はそれこそ枕のような本だけれども、一般向けの書籍も数冊ある(順不同。私が持っているもののみ)。
- 『自白の心理学』、岩波新書
- 『取調室の心理学』、平凡社新書
- 『「うそ」を見抜く心理学―「供述の世界」から』、NHKブックス
- 『私のなかの他者―私の成り立ちとウソ』、金子書房
- 『「私」とは何か』、講談社選書メチエ
- 『「私」をめぐる冒険 「私」が「私」であることが揺らぐ場所から』、洋泉社新書y
一つにはもちろん裁判員制度の開始をにらんでのこと。供述調書という文書がどのような問題をはらんでいるか、少なくともはらみうるかが知られることには意義があるだろう、と。もう一つは「別館」のテーマとの関連で。「証言」や「回想」をどう聴く(読む)か、という問題として。供述調書が被疑者と取調官の“合作”である(被疑者の言葉の中に取調官のそれが入り込んでゆく)ように、戦争にまつわる証言や回想も聞き手がなにを・どのような文脈で・どのような姿勢で訊くかによってかたちが変わってくる。自発的に書かれた回想記の場合ですら、書かれた(公表された)時期や想定された読者が一種の「他者」として書かれたものに反映している。以前に別館でも書いたように、元日本軍将兵の「罪責感」を考える場合にもこうした視点は必要になってくるはずだ。
上野千鶴子は従軍「慰安婦」問題に関連して「証言というものはつねに語り手と聞き手の間の臨床的な現場で、そのつど一回的に作り上げられる共同制作の産物である」*1ことを10年前に指摘しているし、オーラルヒストリーに関心のある人々にとってはよく理解されていることであろうが、「供述分析」の手法はこのような問題意識が一般化する以前に作成された記録の読み方にも示唆を与えてくれるのではないか? という期待があるわけである。