フィデルの出したクイズ

といっても小説のはなしですが。
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090930/p1#c1254318465
↑が発端。で、くま(仮)さんが「復刊ドットコム」にリクエストを出しました。
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=48311
主人公たちは選手獲得を目指しキューバに飛びます。

 オフィスは質素で何もなかったが、生まれて初めて私は誇張して足を引きずって歩いたように思う。何故なら、そうすればカストロに強い印象を与えると思ったからだ。私たちは彼のデスクの差し向かいの木の椅子に腰を下ろした。彼の椅子は回転式の重役用の椅子ですらなく、アームのないただの事務椅子だった。彼は長いこと私たちを見ていたが、それからスペイン語で何か言った。ルイスがそれをすばやく通訳した。
 「首相は一九五一年の十月三日、ニューヨーク・ジャイアンツとのプレーオフで、九回ボビー・トムソンが打席に入ったとき、ドジャースブルペンにいたピッチャーの名前を言えるかどうか、大変に興味深いと申しております」
 何てこった、と私は心ひそかに思った。信じられないおっさんだ。オランがここにいたらどんなにいいだろうかと思った。どんな記事をものしたことだろう!
 「ラルフ・ブランカです」ボビーは言った。「トムソンに対したのはブランカです」
 フィデルは強く首を横に振り、スペイン語でまくし立てはじめた。ルイスが通訳した。「ええ、もちろんブランカがそのときのピッチャーでした。それは周知のことです。しかし、ブルペンにいたほかのピッチャーはだれとだれでしたか、その気になれば使えたのにドジャースがそうしなかったピッチャーたちは?」

ブランカが答えなら大リーグファンにとっては初級編の問題。ここでブランカではなく他の控えの投手が問われるのにはもちろん背景がある。ブランカプレーオフ第1戦でトムソンに本塁打を献上しているだけでなく、この年のシーズン、ジャイアンツから11本のホームランを浴び6度もKOされていたからである(ブルース・ナッシュ、アラン・ズーロ、『アメリカ野球珍事件珍記録大全』、東京書籍、による。ちなみにこの本にはフィデルが出したクイズの答えも載っている)。
ところで1951年10月3日といえば、冷戦の歴史において重要な日付でもある。

 エドガーは今日の日付を心に銘記する。一九五一年十月三日。彼はこの日付を肝に銘じる。日付を刻印する。
ドン・デリーロ、『アンダーワールド』、新潮社)

エドガーとはエドガー・フーヴァーのこと。翌日、ジャイアンツ優勝のニュースとともに紙面を飾ったのは、ソ連が2度目の核実験に成功したという知らせであった。