ニッポソのポモ

てなことを折に触れてブコメしているわけですけど、しかしこれは単なる粘着イヤミではなく事の本質に関わる問題なんですね。「公共空間の言論は開かれていて絶対的真実はない」という主張に本気でコミットしているなら、「汚染水漏れがあったとは断言できない」「5千万円のやりとりがあったとは断言できない」「尖閣募金があったとは断言できない」と言えなくてはならないわけです。なぜ言わないのか? そんなことを言えば言論人としての生命が断たれるのがわかっているからです。そして(なぜ南京事件についてのみ「絶対的真実はない」などとことさら言い立てるか、といえば)南京事件についてなら「絶対的真実はない」と言っても言論人としての生命に影響しないと見透かしているからです。つまり「公共空間の言論は開かれていて絶対的真実はない」云々は本当はポストモダニズムなどとは関係がなく、単に歴史修正主義に対する日本社会の甘さを反映しているにすぎないわけです。
こんなエントリが本年最後のエントリにならないよう、頑張ります……。