ブクマコメにお答えする
「「除斥期間」についての最高裁判決について」というエントリへのブクマコメントについて。まずは id:mojimoji 氏からのもの。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090428/p1
mojimoji この判決は、第一義的には、「(賠償請求の)権利の存在を知り得ないのに、権利行使の時効が成立するか」にあって(この意味で、判決支持)、自首のインセンティブとか殺人犯への実質的処罰は二次的な問題ではないか。 2009/05/01
裁判で主要な争点となったことだけを取り出せばおっしゃる通りでしょう。しかしながら、原告(殺人事件の遺族)が次のように発言しているという事実があるわけです。
石川さんの弟雅敏さん(55)は「刑事でも民事でも裁けない事件があるなら、法治国家としておかしい。正義にかなう判決」と話した。公訴時効見直しが検討されていることに関し、もう一人の弟憲さん(58)は「撤廃してほしい」と訴えた。
(http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090429ddm041040088000c.html)
もし刑事上の殺人に対する時効制度が廃止されていたとか時効成立までの期間が民法上の除斥期間を上回る年数(例えば50年)などになっていて犯人の刑事責任を追及出来ていたとしたら、遺族が民事訴訟を起こさなかった蓋然性は高かったんじゃないでしょうか。とすれば、法学的な争点がどこにあるかという問題と、この訴訟が当事者ないし潜在的当事者(未解決の殺人事件の犯人であるような人間を含む)にとってどのような意味をもつかという問題との間に、ズレがあったとしても別に不可解なところはないと思います。訴訟には固有のルールがありますから、当事者が問題にしたいことを直接、そのままのかたちで問題にできるとは限らない。これは行政訴訟などではおなじみの図式ではないでしょうか。
(追記:なお、私は原告を批判しようと思ったわけではないのはもちろん、最高裁判決を批判しようと思ったわけでもありません。)
次は id:kenkido 氏からのもの。
kenkido この判決は刑事裁判で実現出来なかった正義と公平を補完させようとするもの。これを戦争犯罪に広げるとして、そういう関心は歴史研究の態度となるのか?。歴史は犯罪者へ判決を下すこと?。 2009/05/01
「そういう関心は歴史研究の態度となるのか?」については「そりゃ歴史家によって違うんじゃないでしょうか」としか言いようがないし、「歴史は犯罪者へ判決を下すこと?」については「むろん違うに決まってるじゃないですか!」としか言いようがないですな。歴史家がどんな歴史記述を行なおうが、それ自体では誰かを監獄に送ることなんてできませんから。だいたい私は「戦後補償裁判」について語ったのであって歴史学について語ったのではありません。いわゆる戦後補償裁判(の少なくとも一部)は、戦犯裁判や講和条約で「実現出来なかった正義と公平を補完させようとするもの」であると、少なくとも一方の当事者は主張しているわけです。
なんでここで「歴史学」を kenkido氏が持ち出したのかがそもそもよくわからんです。私は(「別館」の方を含めても)「歴史学」をやっているという意識なんてないしそんなことを自称したこともありません。歴史学の知見に言及することは頻繁にありますが、歴史学の枠組みにおいて "something new" を提示するなどという野望は持っていませんから。むしろ私がやっているのは一種の政治活動である、ということは何度か明言してきたはずです。
さらに言えば、いわゆる戦後補償裁判と近現代史とは相互に影響を与えあうことこそありますが、やはり基本的には別のプロセスです。歴史学が大日本帝国の国家犯罪について何をどの程度明らかにしようが、裁判では原告という具体的な個人の被害についての証拠として認められるかどうかが別途検討されねばなりません。
要するに氏は歴史学か戦後補償裁判のいずれか、ないし双方についてなにか思い違いをしておられるのでしょう。