『記者襲撃』

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日曜日

・樋田毅、『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』、岩波書店

 

もうかれこれ一年くらい前に刊行されかなり話題になったものだが、ようやく手を伸ばした。まとまった書評にはならないがいくつか雑感を。

 

本書に登場する人物は一部を除いて仮名にされていることは事前に承知していた。だが読んでみて気づいたのは、ある程度の予備知識がある人間にとっては誰のことかが明確にわかる(あるいは簡単に調べがつく)ような手がかりが書かれているということだった。例えば「りんご農園を営んで」とあれば当ブログの読者の方ならたいてい「ああ、彼か」とわかるだろう。興味本位で実名がネットに流れるようなことは防止しつつ意欲のある読者ならさらに情報を集めることも可能にする……というのを意図したのであれば、それなりに頷ける手法のように思う。

 

当然ながら警察(刑事、公安双方)の体質や新聞社と警察の関係についての記述もいくつかある。なかでもすでに定年退職した元刑事への取材で、マークされた右翼への事情聴取にあたり「警察庁の幹部から、それぞれ自分の担当する人物が犯人に間違いないと確信して取り組むように、との指示があった」(69ページ)という一節にはため息をついた。袴田事件における警察の捜査資料にも同趣旨の指示が記されていたからだ。

 

右翼担当の公安警察官が右翼となれ合い的な関係を築いていることはよく知られているが、「事件のしばらく後」の時期に公安二課長だった警察官の発言(201ページ)にはさすがに驚いた。そのように考えることには驚かないが、『朝日新聞』の記者に対してそれをぬけぬけと語る、という点に、だ。さすがに取材した右翼から「かつての警察と右翼の麗しい関係を残す最後の幹部」(同所)と言われるだけのことはある。

 

著者は2014年8月以降『朝日新聞』は萎縮していると批判し、また植村隆・元記者を「社として積極的に守ろうとする姿勢が見られなかった」ことについても「極めて残念」としている(210-211ページ)。このような危機感についてはまったく同感だけれども、だからこそ社の幹部と統一協会との馴れ合いを疑われるような関係などについても記述したことについて、「私は朝日新聞社を故意に貶めるつもりなど毛頭ないし」(221ページ)という断り書きなどは書いて欲しくなかった。いうまでもなく、自らが属する集団への批判を辞さない姿勢を「自虐」だとする攻撃を右翼は続けてきたのだし、そうした言いがかりの最大のターゲットになってきたのが『朝日新聞』だった。このような断り書きが必要だと考えることは、右翼の攻撃に屈する第一歩ではないのだろうか? と思えたからである。