捜査の手段が否認への罰に

  • MBS NEWS 2017年6月1日 「「ごめんなさい」と言ってほしい、無罪ミュージシャン」

 大阪のミュージシャン、SUN―DYUさん(26)。5年前、泉大津市コンビニエンスストアで1万円を盗んだ罪に問われ300日以上身柄を拘束されました。店のドアからSUN―DYUさんの指紋がみつかり、捜査側は犯人が逃げる際に付けたと見立てました。しかし、SUN―DYUさんの母親が防犯カメラの映像を調べたところ、事件の5日前にこのドアに触れていたことなどがわかり、無罪判決が確定しました。
(http://www.mbs.jp/news/kansai/20170601/00000075.shtml)

1万円盗んで有罪判決を受けたとして、累犯でもなければ懲役や禁錮実刑なんてふつうないでしょう。なのに、結局は無罪となったケースで実質的に“禁錮300日”とも言える“罰”を受けたことになります(もちろん、前科がつくわけではないので法的な違いはありますが)。被疑者の身柄拘束は捜査のための手段のはずなのに、実際には否認に対する罰として機能してしまっている。この事件では捜査のずさんさも問題ではありますが、人質司法の問題点が露呈したケースでもあるわけです。


なおあくまで二次的な論点ですが、被害額1万円の事件で被疑者を300日も勾留することは、行政の費用対効果の面から言っても大いに疑問です。