出来もしないことを目指すのではなく出来ることを目指すべき

ずさんな捜査で誤認逮捕してしまったことと、不当な取り調べで自白を強要したこととはまったく別の問題です。

 「その汚れた手で子どもの頭をなでてあげられますか」「反省する気持ちはないのか。お前が犯人である証拠はそろっている」「いくらでも捜査は続ける。お前は普通じゃないんやで」

こういう取り調べは誤認逮捕だったからダメなのでしょうか? むしろ、被疑者に対してはこういう扱いをしてよい、という発想こそ問題にされねばならないのではないでしょうか。

 府警の高木久・刑事総務課長は「判決内容を重く受け止めています。関係者とご家族にご迷惑、ご心労をおかけしたことに改めて深くおわび申し上げます。一層慎重を期した緻密(ちみつ)な捜査を徹底します」とのコメントを出した。

努力するのは結構なはなしですが、捜査するのも人間である以上ぜったいにミスは起きます。この事件の場合、仮に捜査ミスがあったとしても「逮捕を安易に認めない」「取調べにあたっては被疑者の人権を尊重する」という刑訴法の基本を守っていれば、誤って被疑者にされた男性の被った被害もはるかに少なくて済んだはずです。
これまでも指摘してきたことですが、取調べを「反省の場」と考え、「否認=無反省」と理解して、被疑者の自尊心を打ち砕くことで自白させるような発想から決別しない限り、同じようなことはまた起きるでしょう。