被爆者証言がうかがわせる記憶の再構成


8月18日に放送されたNHKスペシャル「知られざる衝撃波〜長崎原爆・マッハステムの脅威〜」には、原爆投下当時学校で防空壕を掘る作業をしていたために助かった生存者が登場し、這い出して初めて目にした光景についてこう語っている(画面に表示されたテロップによる)。

もう一変してましたものね ここはね
ガラスもみんな無くて もう本当
戦火のあとのような感じですね
外国辺りで燃えたあと ああいうふうな感じで

強調は引用者。
当時のメディア状況、映像テクノロジー、証言者の年齢等を考えあわせると、証言者が被爆体験以前に「外国」の「戦火」がもたらした惨状についての映像を見ていた蓋然性は低い。むしろ戦後になってテレビや新聞の戦争報道に触れた体験が被爆体験のこのような「解釈」を生み出した蓋然性の方がはるかに高いだろう。被爆以前には比類すべき経験をもっていなかったがために、戦後の経験から比較の対象が選ばれたのではないだろうか。私の想像が正しければ、この証言は証言者が「体験したままの体験」を忠実に伝えているとは言い難い。当時の彼女にとっては「外国の戦火のあと」のような明確な意味を付与できない、混沌とした体験であったのであろう。だからといって、彼女の証言が嘘だということにならないのは言うまでもない。元「慰安婦」の証言に「ジープ」という単語が出てくるからという理由で「捏造」認定するような輩は、単に人間の記憶の基本的なメカニズムについて無知であるにすぎないのだ。