『法と倫理の心理学』


(当エントリでは「自白」は扱っていませんが、関連するテーマを扱っているため「自白の研究」タグを用いています。)


大阪府警が今年の7月以降、(発覚しているだけで)4件の誤認逮捕を起こしています。
8月8日に報じられた高槻署のケースについて、わたしは次のようにブコメしました。

「母親の「間違いない」とする“目撃情報”」 証言者の確信度と証言の確かさには関係がない、というのは専門家がほぼ一致して認める科学的知見。2013/08/09
(http://b.hatena.ne.jp/entry/www.47news.jp/CN/201308/CN2013080801002083.html)

他方、15日に報じられた浪速署のケースについては、次のようにブコメしました。

これは最近の他のケースと同列に扱うのはさすがに……。時刻も時刻、任意捜査に切り替えたのも早いし、被害者の「間違いない」を無視するわけにもいかないだろうし。2013/08/15
(http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/news/20130815k0000m040119000c.html)

すぐに釈放されたのは高槻署のケースも同じなのですが、こちらはなにしろ犯行現場を見ていない母親の「目撃証言」に依拠してしまったという大ポカをしています。記事によれば高槻署は「すぐ逮捕するのではなく、署に任意同行してよく確認すべきだった」と反省の弁を述べていますが、母親の「確信」に引きずられずに「目撃」の状況などを確認していれば「実は目撃していなかった」ことは明らかにできたはずです。
他方、主観的確信度と証言の確かさにほとんど相関がないとはいっても、それはもちろん「自信たっぷりになされる証言は疑わしい」ことを意味するわけではありません。ですから、被害者本人が「この人で間違いない」と語った浪速署のケースの場合、それを鵜呑みにするのは論外としても捨て置くわけにはいきませんし、被疑者の身元の確認や裏付け捜査が困難な事件発生時刻(午前4時頃)を考えれば、不当な逮捕だったとは直ちには言えないだろう……と思ったわけです。
浪速署のケースを「誤った目撃証言」という観点から考えると、「不適切な面通し」に起因する誤認逮捕という類型に分類できそうです。被害者女性が被疑者男性を同定したプロセスについて記事は詳しく伝えていませんが、職務質問で男性を足止めしている間に女性を呼び寄せ、犯人かどうかを供述させた……とかいったやり方だったのでしょう。しかしラインナップを用いず被疑者一人だけを目撃者に見せて同定させる「単独面通し」は、心理学者には「最悪の識別手続きであり、冤罪に結びつく可能性を持つ手続き」だと評されています*1職務質問を受けている男性を目の前にして識別を求められれば、「これが犯人だ」という判断をしやすくなるバイアスが生じていたであろうことは想像に難くありません。ところが、このケースに限らず日本の警察はもっぱら単独面通しを用いているとのことで*2、浪速署の失態というよりは日本の警察全体の問題(同じようなことが、どの警察署で起きてもおかしくない)ということになります。なお、このケースの記事に「偽証女性」云々という心ないブコメがついていますが、犯人の逮捕を望む女性に偽証する動機などあるはずもなく、上述したように不適切な面通しによる誤認と考えるのが妥当でしょう。


はなしを証言者の確信度と証言の正確さの関係(というか、無関係)に戻すと、最近読んだ本に興味深い研究結果が紹介されていました。

  • 仲真紀子、『法と倫理の心理学―心理学の知識を裁判に活かす 目撃証言、記憶の回復、子どもの証言』、培風館

紹介されているのは著者らが先行研究を踏まえて行った調査の結果で、裁判で必要となる法学的知識と心理学的知識について一般市民に質問し、その回答をそれぞれの分野の専門家の回答と比較します。すると、「どのような点で一般市民の判断は専門家のそれと一致し、あるいは相違するか」を明らかにすることができるわけです。そして「目撃者が自信をもって証言していれば、その証言は正しい」という質問に対して、誤って「その通りだ」と回答した一般市民はごく僅かでした。ただし、正解した市民の数と「わからない」と回答した市民の数とが同数でしたので、心理学的な知識が広く受け入れられていると解釈することもできないようです。
ではどのような心理学的知識において専門家と一般市民の判断に大きな差があったかと言えば、外傷的体験についての記憶の抑圧と回復、および幼児の証言の信頼性についてのものだったとのこと。専門家の多くは記憶の抑圧/回復を「信頼できる」とは判断しませんでしたが、一般市民にはこの概念がかなり浸透しているようです。また、幼児の証言を「信用できないとは言えない」と答えた一般市民は専門家よりも遥かに多かったそうです。ただし、大人の証言に含まれる誤情報に比べて子どもの証言に含まれる誤情報が被験者に与える影響は少ないという別の実験結果も紹介されており、単純に「一般市民は幼い証言者を信用する」ということでもなさそうですが。
法学的知識についても興味深い結果が出ていました。推定無罪の原則と黙秘権については多くの一般市民が正解していたにもかかわらず、「被告人は、自分が無罪であることを証明する責任がある」という質問の正答率は12問中最低で、約3分の2の人が「責任がある」か「わからない」と答えていました。推定無罪や黙秘権についての知識とこの判断とがどう共存しているのか、関心をそそられる結果です。

*1:厳島行雄ほか、『目撃証言の心理学』、北大路書房、100ページ。この本については近日中に改めてご紹介します。

*2:前掲書による。