コメントの選び方

この種の事件報道で近隣住民のコメントをとるというのは常套手段ではあるのだが、この記事では次のようなコメントが引用されている(強調は引用者)。

 近くのバイク店の男性店員(34)は、警察官に付き添われてマンションを出る石橋容疑者を目撃。「何事かと思った」と言い、隣の民家の主婦(34)は「争う声など聞いたことがない。物騒で恐ろしい」と話した。

「何事かと思った」などというコメントを引用することに一体どんな意味があるのか、首を傾げるが、それ以上に「隣の民家の主婦」のコメントを採用したことはミスリーディングだ。この女性は記事中にあるような事情を知らずに、「殺人事件が隣で起きたんですが」などと訊かれて喋っている可能性が高く、そうであればこのような感想が出てくること自体は無理からぬところである。しかし現時点での容疑者の供述と客観的な事情を考慮に入れつつこの事件を描こうとするのであれば、「物騒で恐ろしい」は極めて的外れではないだろうか。「争う声など聞いたことがない」というのだから、実際には「物騒」ではなかったのだ。「恐ろしい」というのであれば「物騒」でない状況で、家庭内でこのような事件が起きる(そして、日本の殺人事件において類似のケースが占める割合は非常に高い)ことにこそ、恐怖を感じるべきところだろうし、詳しい事情が判明すれば「痛ましい」と評する余地さえ出てくる可能性すらある(もちろん、そうでない可能性も現時点ではあるが)。的外れなだけならまだいいが、こういうコメントを安易に記事に採用することで、マスメディアが「体感治安不安」を肯定し再生産することになってしまってはいないだろうか?