“狭義の”冤罪?

滝実法相は同日の閣議後記者会見で「(法務省)刑事局としては、冤罪(えんざい)は厳密な定義がないという伝統的な考え方に従っているが、世間一般的な感覚で広くとって言えば、冤罪と言えなくもないと思う」との見解を示した。

「世間一般的な感覚」で、というのであればこれは「世間」の大方がド冤罪だと考えるケースでしょう。「広くとって」だの「言えなくもない」などと言う方が「世間一般的な感覚」から乖離しています。

 ゴビンダ・プラサド・マイナリさんの再審無罪判決を受け、東京高検の青沼隆之次席検事は7日、取材に対し、「真相解明がなされていない。冤罪(えんざい)と言うのは時期尚早だ」と述べ、マイナリさんへの直接の謝罪は「現段階では考えていない」とした。
(中略)
 別の検察幹部は「真犯人を逮捕して起訴し、マイナリさんは冤罪だと言えればいいのだが」と語り、今後の再捜査は困難との見通しを示した。

検察幹部は内閣を差し置いて冤罪の定義を勝手に決めているみたいです。真犯人が特定できていなくてもゴビンダ氏の無実が明らかになればそれは立派な冤罪だ、というのが「世間一般的な感覚」じゃないでしょうか? ゴビンダ氏の無実を示す数々の証拠を無視して時間を空費し、そのせいで「真相解明」が一層困難となったのに、真犯人がわからねぇから冤罪とは認めないし謝る気もねぇ、とはずいぶんとご立派な態度です。他人の反省を眺めるのが生き甲斐のくせに、自分が反省するのはまっぴら御免……というのが検察官のメンタリティ、ってことでしょうか。


(なお、この事件では「自白」はありませんが、冤罪(疑惑)一般を扱うカテゴリーとして「自白の研究」を使っております。)