「うなぎ月間」を終えるにあたって


コンビニ前に並ぶうなぎセールスのための幟を見たときの怒りを原動力に約1ヶ月、マスコミのうなぎ報道をフォローしてきたわけですが、一部を除いて視聴者や読者をミスリードするものばかりであったことには改めて驚きました。うなぎ資源の現状が危機的であることから目を背けるよう、その責任の多くが日本人にあることから目を背けるよう、うなぎを薄利多売することの反倫理性から目を背けるよう、今やるべきことが何であるかから目を背けるよう、ひたすら誘導しているのです。「日本は完全養殖の技術を持っている!」「中国が値段をつり上げている!」「マダガスカルに救世主がいる!」「アメリカが日本に意地悪をしている!」……といった具合に。
うなぎに限らず、生物多様性であるとか環境保護といった話題をとりあげると、「そうはいっても人間の欲望は変えられない」などと“シニカルでクールな俺”を気取る人々が現れるものなのですが、いやいやいや、人間の欲望なんて文化により、時代により、実に多様で変化に富んでるじゃないですか。現に「土用の丑の日のうなぎ」だって人為的な仕掛けによって定着した慣習に過ぎないわけです。マスメディアが協力したキャンペーンによって、人気のあった魚種の漁獲制限に成功した事例だって現にあるのです。
世界は道徳的な人間の不足に悩んでいるわけではありません。生活保護の不正受給問題や大津市のいじめ自殺事件*1への世間の反応を思い起こして下さい。むしろ人々が過度に道徳的であることが問題を引き起こしていることが少なくないくらいです。
だから、マスメディアがうなぎ問題に関してミスリードをやめ、危機を危機として伝え、乱獲を乱獲として、乱食を乱食として伝え、薄利多売の裏になにがあるのかを伝え、モザンビカ種うなぎの科学的な資源量評価を(あるいはそうした評価の不在を)伝えるなら、消費行動を変える消費者は決して少なくない、と思います。
シニシズムに浸るのは、まずはマスメディアが現実をきちんと伝えるようになってからでも遅くはないでしょう。

*1:すでに指摘している論者もいることですが、いじめそれ自体が「不純物」を排除しようとする行動であるという意味で、倒錯した道徳的振る舞いであるということもできます。