いろいろ
先月テレビで放送していたクリストファー・ノーランの『インセプション』、食事時などにちびちびと観て先日ようやく観終わった。もっと真面目に観れば「おっ、よくできてるじゃん」と思うのかな。トム・ベレンジャーを久しぶりに見たなと思って調べてみたら、このところテレビの仕事が中心だったよう。最後に見たのは2001年の『トレーニング・デイ』のようだ。
NHK BSプレミアムでの放送に先立って北米版BDを見ていた『SHERLOCK(シャーロック)』第2シーズン、先日から第3話を視聴中。なにぶんものすごく情報量が多いので、あまり長いこと見続けるのが難しい(^^; 吹き替え版放送でストーリーを頭に入れてからまた見直すことになりそう。
故あって1999年(日本公開は2000年)のB級映画『スティグマータ 聖痕*1』(監督:ルパート・ウェインライト)をDVDで観た。主演は『トゥルー・ロマンス』のパトリシア・アークエットにガブリエル・バーン、脇にジョナサン・プライス、とキャストはまずまず豪華。P・アークエットも俳優一家の出身だが、ジョン・キューザックの姉もちょい役で出演。ストーリーは、“聖痕現象を調査していたら、バチカンが闇に葬った外典福音書の存在が浮かび上がる……”といういかにもありがちなあれだったのだが、アラム語で書かれているとされるその福音書から「神の国は汝の内に 汝の周りにある」だとか「薪を割っても私はいる 石をどけてもそこにいる」「これは生きたイエスの語った言葉だ」「この意味を知ったものは死を味わうことはない」などと、聞き覚えのあるフレーズが引用されるので「ひょっとして……」と思っていたら、やはり「トマスによる福音書」のことだった。バチカンが闇に葬った外典福音書の翻訳がうちにあるよ(笑)*2 まったく架空の、あるいは(この映画の製作当時「ユダによる福音書」がそうだったように)存在は推定されていても写本が世に出ていなかった外典福音書を創作してみせるほどの志でつくられた映画ではなかろうから、映画中で「1世紀のアラム語の巻物」*3「“死海文書”の洞窟のそばで見つかった」*4「キリスト自らがアラム語で語った福音書」などと語られるのはまあいい。しかしエンドクレジットの直前に字幕で「その巻物“トマスの福音書”は〔歴史上の〕イエスの言葉に最も近いと〔世界中の〕学者たちは言う」「だがバチカンは この福音書を異端とみなし認めていない」と補足されるのはかなり微妙。この種の字幕はフィクションの一部として使われることもあれば、映画が踏まえている現実についての注釈として使われることもある、曖昧な領域だから。1945年にナグ・ハマディで発見された、と正しい情報が提供されている(ナグ・ハマディはエジプトの村なので、もちろん「“死海文書”の洞窟のそば」ではない)ところを見ると事実についての注釈のつもりなのだろうが、そうだとすると前出の2フレーズは極めてミスリーディング。映画中ではいかにもトマス福音書らしい箇所を使うセンスを発揮しているのに、なんでこんな変な注釈をつけたんだろう。