なにを驚いているのかさっぱりわからない


昨日テレビをザッピングしていてチャンネルが「ミヤネ屋」にまわったとき、たまたま「“常識”が変わる? 聖徳太子も西郷さんも仰天新説!」と題して、新旧教科書の比較をやっていた。英語では筆記体を教えなくなったことなどがとりあげられていたが、話題の中心は歴史教科書で。「鎌倉幕府成立の年」「大仙陵古墳仁徳天皇陵)」、そして見出しにもある聖徳太子西郷隆盛肖像画が教科書から消えている件などをネタにしていた。
当ブログの読者の方であれば、Wallerstein さんのエントリ「「幕府」の「差分」−源頼朝」をお読みかもしれない。歴史修正主義者が言い立てるインチキとはまったく別の意味で、歴史学において「諸説ある」とはどういうことか、「通説が変わる」とはどういうことか、のコンパクトにしてわかりやすい例証になっている。その他のトピックにしても、日本史に関心のある人間にとっては常識に属するものであろう。
興味深かったのはスタジオ出演者の反応である。彼ら(プレゼンター役のアナは別として)は口を揃えて歴史教科書が書き換えられることへの驚きや不信感を表明したのである。もちろん、これは情報バラエティ番組であるから、スタジオ出演者(アナウンサーやら解説委員といった、平均以上の学歴を有する者を中心とする)の反応を彼らの素の反応として理解することはできないだろう。そうだとしても、彼らは「鎌倉幕府の成立が1492*11192年じゃないなんて!」「聖徳太子厩戸皇子に変わるなんて!」という反応こそが視聴者の共感を呼ぶと考えていたことになる。大仙陵古墳の例でいえば、戦前から引き継がれた陵墓の指定に疑わしいものが多々あることはよく知られているのであって、むしろ従来無批判に「仁徳天皇陵」とされてきたことを話題にしてもよさそうなものであるが、もちろんそんな流れにならないのが日本のテレビである。
そこからわかるのは、彼らは「教科書に載るのは絶対に確実な知識だけであり、それゆえ教科書が書き換えられるのは驚天動地の事態である」と視聴者は考えている、と考えているらしいということである。それほどまでにこの社会が歴史教科書を信頼していたのであれば、歴史教科書に書かれていることを公然と否定する歴史修正主義者に対してなぜこの社会はこんなにも甘いのだろうか? さっぱり訳が分からないよ。


そういえば、父は私の数学の教科書をみて集合論で途方に暮れていたのを思い出すな。

*1:ひどいミス……(^^;