「ネットで見た」


朝日新聞(大阪本社)の連載「震災後の国で」の5月2日の朝刊掲載分、「ネット削除 警察選別」より。
震災後にネットで拡散した誤情報の一つに、自衛隊が県庁を窓口として支援物資を受け付けているという趣旨のものがあったことは皆さんご存知の通り。この情報を発信した男性に取材しているのだが、発信に至った経緯は次の通りだったという。

 自衛隊員を家族に持つ知人がいた。11日夜、「個人で支援物資は送れる? 確認できたら教えて」とメールを送ると、「各自治体で受け付けている」と返信があったからだ。

ところが、誤情報への非難が殺到したため知人に「隊員本人に確認したのか」と問い合わせると「ネットで見た」と返信が来た……。「リアル」に情報を求めたつもりだったのにメビウスの輪のようにネットへと導かれていたという、なんとも脱力させられるオチです。


記事では警察による削除要請に関して、あるネット事業者の「従来も規約に基づき、自主的に対応してきた。まるで検閲のようだ」という発言や、在米日本大使館へのグーグルの申し入れ−−「ネットは多様な情報が飛び交う。政府が個別に削除を求めることには懸念がある」−−が伝えられています。私自身は、この種の削除要請なんかよりデモ等に対する公安の介入の方が遥かに「言論・表現の自由」を脅かしていると思うのですが。削除を「個別に」求めることが問題だ、というのもよくわかりません。むしろ、削除要求は対象の「個別」性に即して行なわれるべきものではないでしょうか? そうであればこそ、警察の削除要求の妥当性についても個別に吟味することができるはずです。転び公妨や別件逮捕なんかをのさばらせない社会であれば不当な削除要求を撤回させることも可能です。転び公妨や別件逮捕をスルーしておいてネットだけ自由でいられる、自由であるべきだ、などと考えるのは馬鹿げています。