どの口がそれを言うのか

まあ仮に産経の主張するような「歪曲」があるとしようじゃありませんか。で、歪曲はけしからん、と。たとえ祖国を「正当化」するためであれ「歪曲」はけしからん、と。じゃあ、こういうのはどうなんでしょ。

 現在、188ある陵(天皇、皇后、皇太后太皇太后墓所)は、ほとんどが江戸時代から明治にかけて定められた。考古学も未発達の時代に、「書紀」などに記された墓の場所を頼りに決めたのだから、科学的な検証が不十分なことは当たり前である。
 「古代の天皇陵で、確実に被葬者が一致するのは天智天皇陵(京都市山科区)と天武・持統合葬陵(明日香村)だけだ」(森浩一・同志社大学名誉教授)のような指摘もある。
 ではあっても、100年以上にわたって大切に守られ、陵前での祭祀(さいし)も続けられてきた。こうした伝統を現今の「学術的成果」だけで否定し、安易に治定変更していいものだろうか。

こちらは直接教科書が問題となっているわけではないとはいえ、この二つが同じ新聞に掲載され得たというのはすごいよな、と。「実証を誇る歴史家の歴史より、真の詩魂を持つ小説家のフィクションの方がよほど立派な歴史になっている」と主張する西尾幹二センセ(『諸君!』、2009年3月号)は産経の常連寄稿者であるわけだけど、「詩魂」があれば「実証」など二の次でよいと言うのなら、「歪曲上等!」ってことにならないのか。