「殺すな」という主張に論拠が必要だとしたら……


「殺すな、という主張に論拠は要らない」というテーゼを認めなかった人々はもちろん自覚していないだろうが、「殺すな、という主張に論拠が必要」だとすれば「もしお前が殺されたくないのならば、お前を殺してはならない理由を明らかにせよ」という要求を正当なものと認めなければならない。


そして実際のところ、ある種の人々は「もしお前が殺されたくないのならば、お前を殺してはならない理由を明らかにせよ」という理不尽きわまりない要求を突きつけられているのである。例えば1937年12月に日本軍が「便衣兵」として殺害した南京市民や中国軍将兵。あるいはセックスワーカー。1987年、池袋でホテトル嬢が客を刺殺した事件の判決はよく知られていよう。このケースを過剰防衛とした判断それ自体が直ちに不当であるとは言えないが、「被告人の性的自由及び身体の自由に対する侵害の程度については、これを一般の婦女子に対する場合と同列に論じることはできず、相当に滅殺して考慮せざるをえない」という高裁判決の論理は「殺されたくなければ、お前を殺してはならない理由を明らかにせよ」につながりうるものである。この事件から20年以上たっても同様な発想をする人間がいることは、以下のような事例が証している。
http://anarchist.seesaa.net/article/168183123.html
http://anti-femi2010.scenecritique.com/index.php?option=com_content&view=article&id=1029:2010-10-20-03-46-52&catid=77:2009-03-17-11-21-04&Itemid=133