わけがわからない


自白(虚偽自白)に関係のある話題ではないのだけれど、刑事裁判についてはこのカテゴリで、ということにしておく。

つまり誰でも押尾と同じ状況になったら「救急車など呼ばずに自分だけ逃げればいい」と司法が認めたってわけだ。
(http://twitter.com/kikko_no_blog/status/24735865052)

(……)これまで多くの大きな事件の求刑、判決を見てきて感じていたのは、我が国の裁判は“疑わしきは罰す”が基本だったのではないか? 小沢一郎などその典型例ではないか。整合性がまったくない。この意見に、読者も強い反論はないだろう。ところが、これが今回の判決では“疑わしきは被告の利益に”、要するに“疑わしきは罰せず”に大きく舵が切られたように思える。これが“裁判員裁判の特徴”なのかもしれない。だが、限りなく黒に近いグレーである今回の“ドラッグSEX遺棄致死犯罪”まで、“疑わしきは罰せず“判決が大手を振るようになると、押尾学のようにあくどい犯罪者はもちろん、多額の弁護費用を稼ごうとする”悪徳弁護士“たちはあらゆる卑劣な手段を講じるだろう。ということは「民主主義を金で買う」世の中になってしまう。(……)
(http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2010/09/post-5867.html)

いったい報道をどう読めばこういう出鱈目が書けるのだろうか? 被告人は保護責任者遺棄では有罪になり実刑判決を受けているのだから、「救急車など呼ばずに自分だけ逃げればいい」と「司法が認めた」などということは全くない。「限りなく黒に近」くても「グレー」である限り保護責任者遺棄「致死」に関しては無罪とするのがスジであるし、判決要旨を見る限り検察側は遺棄「致死」に関しては「限りなく黒に近」いことの立証にも成功していないように思われる。

キ ところで、保護責任者遺棄致死罪が成立するには、犯人において生存に必要な保護に及べば病者等の救命が確実であったことが合理的な疑いをいれない程度に立証されることが必要である。この点、証人の2人の医師は本件では心室細動・頻拍に陥る前に救急隊員の被害者への接触が期待できたから、9割以上の確率で救命することができた旨供述する。一方、別の医師は、被害者の遺体のMDMA濃度が非常に高いことを指摘し(心臓摘出時血液で13.69μg/g、大腿静脈内血液で8.81μg/gであり、ちなみに致死量は3.1μg/gという)、これだけの高濃度下では、MDMAは解毒剤がなく、また、臓器に取り込まれやすいという位置から、胃洗浄や血液透析によっても早期に体内から除去することが困難であることを勘案すると、心肺停止前に被害者を集中治療室に搬送できたとしても、救命可能性は30パーセントないし40パーセントである旨供述し(医師としての経験に基づき、真撃に供述しており、その供述内容にも特段不合理な点は認められない)、また、さらに別の医師も、検察官の聴取に対し、さまざまな事態を想定しつつ、救命可能性を検討しているところ、その可能性は低いと10パーセント、高くても60パーセント程度というのである。さらに、病院搬送後心肺停止に陥った場合、一般的にその救命率は50パーセント程度であるが、MDMAのようなアンフェタミン系の薬物には解毒剤がなく、その過剰服用によって心肺停止が起きた場合、原因をすぐに除去することができないため、心臓を再び動かすことは、同医師の経験上、一般的により困難であると述ベており、上記医師の供述と軌を一にするものがある。
(http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100917mog00m040013000c3.html)

強調は引用者。
さらに小沢一郎は一連の疑惑に関連して有罪判決など受けていない(それどころかこれまでのところ起訴すらされていない)から“疑わしきは罰す”の「典型例」だなどとはもちろん言えない。「民主主義を金で買う」に至っては「民主主義をなんだと思ってるのか?」と思わざるを得ない。