韓国在留日本人妻の戦後

朝日新聞(大阪本社)の朝刊に「百年の明日 ニッポンとコリア」と題する企画記事が掲載されている。3日の「上」は戦中の徴用、敗戦後の引き揚げ、戦後の「ポッタリさん」(行商人)などを通じ関釜航路をとりあげている。4日の「中」では北朝鮮への帰国事業と、韓国在留日本人妻の帰国事業(1962年から)について。しかしすべての日本人妻が帰国できたわけではない。

 韓国東南部の慶尚北道慶州市には、身寄りのない日本人妻の保護施設「慶州ナザレ園」がある。72年の創設以来、200人以上が在籍し、今も76歳から96歳までの23人が暮らす。無国籍者として社会から捨てられ、たどたどしい日本語を頼りに担ぎ込まれた女性もいた。
 同園に勤めて27年になる宋美虎(ソン ミホ、原文ではルビ)園長(59)は「みんな日本に帰りたい。でも、身寄りがないのにどうして日本で生きてゆけるでしょうか」と話す。23人の日常会話は韓国語。日本の話題を楽しみに、余生を送る。

「日本がいやなら在日は半島に帰れ」などとほざく輩にはこの園長のことばなど届かないのだろうか。