ロッキード事件陰謀説、完全に終了しました

 ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘自民党幹事長(当時)から米政府に「この問題をもみ消すことを希望する」との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」という理由。三木武夫首相(当時)は事件の真相解明を言明していたが、裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。中曽根事務所は「ノーコメント」としている。
(後略)

ネット版の記事にはアメリカ側の受け止め方についての情報がほとんどないが、今朝の大阪本社版社会面に掲載された記事には次のような記述がある。

 大使〔ホジソン駐日米大使〕は「日本政府の公式の姿勢とは異なり、自民党の指導者たちの多数は、関与した政府高官の名前を公表してほしくないのではないか」「日本政府の公式の要請を額面通りに受け止めるべきではない」と指摘。米政府としては「可能ならばこれ以上の有害情報の公開は避けるのが我々の利益」と結論づけている。
 米司法省刑事局長の76年2月23日付文書にも、国務省が「関係者が公開されれば、日本政府は倒れ、その結果、より非友好的な政府になりそうだ」と心配している、と記載されている。
 秘密扱いでの資料提供という結論は、こうした様々な検討を経た繊細な判断だった。

ある種の人びとは小沢一郎の疑惑についてもアメリカの陰謀を口にしたりしているが、その発想の原型となってるのがロッキード事件をめぐる陰謀説だ。ただでさえろくな根拠をもたなかった陰謀説に、これでとどめが刺されたということになる。