『母なる証明』(ネタばれあり)

前作『グエムル』と比べると宣伝もきわめて控えめな、ポン・ジュノ監督の新作。『グエムル』ではクライマックスにも笑いどころを盛り込んでいたのに対し、こちらは序盤こそ(お約束の飛び蹴りを含め)ユーモラスな描写もあるもののトジュン(ウォンビン)の逮捕以降はひたすら重いので*1、日本での扱いはこんなものになってしまうのだろう。なお、原題は「母」ではなく mother の音写のようである。
以下、ネタばれあり。








だれもが『殺人の追憶』と比較したくなる陰惨な題材。事件当夜のことを思い出させようとする母親の努力は、かえって過去の無理心中未遂の記憶をよみがえらせてしまい、それ故に母親はなにが何でも息子の無実を証明せねばならなくなる。主人公である母親に感情移入している観客は(そして『殺人の追憶』をみている観客ならなおさら)「母親が息子の冤罪を晴らす物語」というフレームに従って観るわけだが*2、映画はそうした観客の期待を裏切って展開する。貧困と息子の知的障害を背負ってきた母親がより重度の知的障害者を犠牲にすることを選択する、という皮肉。知的障害者が冤罪被害者となることはこの映画の中心的な主題でこそないものの、『殺人の追憶』でもとりあげられた、冤罪の重要な類型の一つである。そのことを考えると "Movie Walker" の次の記事はひどすぎる。
http://news.walkerplus.com/2009/1004/5/
知的障害を「引きこもりのダメ男」だなどと記述するのは知的障害に対してもひきこもりに対しても初歩的な(普通に新聞を読んでいれば知っていて当然の)理解すら欠いたでたらめである。

*1:殺人の追憶』同様、現場検証の場面はコミカルな描写だったが。

*2:ただし『殺人の追憶』の場合とは違って不十分ながら物証もあり、トジュンに容疑がかかること自体は不当とはいえない。威圧的かつ被疑者の知的障害に配慮しない強引な取り調べこそしているものの、直接的な拷問はない。刑事たちの会話で殺人事件の発生が久しぶりであることが明かされており、不手際の伏線となっている。