それ、普通に要求されてると思いますが?

nppaemon ひどすぎねえ?, 自己責任論? 福祉カットを拒むことによって放置される財政難については、当の反対している対象者が率先してコミットするべきであるのは当たり前のこと 2009/06/15
(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090615/p1)

誰かさんがスター3つもつけてますが。「ひどすぎねえ?」「自己責任論?」タグがつけられていることから、私の主張を「 福祉カットを拒むことによって放置される財政難については、当の反対している対象者が率先してコミットするべきであるのは当たり前のこと」とパラレルなものと理解したうえでそれを「ひどすぎねえ?」と評しているのだと理解しました。以下、この理解を前提として書きます。
まず現実問題として、日本の野党やその支持者はずっとそういうこと言われてきましたよね? 「財源はどうする?」とか「代案を示せ」とか。橋下府政への批判者だって同様です。たしかに「代案を示せ」論法が不当な抑圧として機能することはあります。例えば代案を構想するのに必要な情報ががっちり相手方に管理されてる場合とか。代案がどうとか言っていられないほど切実な被害を現在進行形で被っている場合とか。しかし今度の選挙で第一党になる可能性が十分にある政党が仮に「福祉カット」に反対するのであれば、財源についての見通しが問われるのは当然のことでしょう。個々の市民は野党第一党ほどのリソースも持っていないから同じ水準で責任を問うことは意味をなさないでしょうし、業界関係者が「今はとても他のことまで考えてる余裕なんてないよ」と言うならばそれはそれで理解はできます。だからといって市民が、自らの政治的選択に対して責任を負わなくてよいなんてことにはならない。「自己責任論」が問題なのは例えば生存権が脅かされているような事態を「自己責任」の名の下に放置したり、自分でコントロールしきれないリスクまでを「自己責任」として個人化してしまうからです。