守るばかりでなく・・・

刑法175条のうち「公然と陳列」についてはたしかに処罰することに一定の合理性を認めることができるけれども、この条文及びその実際の運用がもたらしているのは不条理以外のなにものでもないわけで。自室でひっそり再生されるエロDVDにもモザイク処理がなされる一方、そのDVDのスチル写真がキオスクで売っている雑誌に掲載され朝夕の通勤電車でおおっぴらに読まれていてもなんのおとがめもない。
Internet Movie Databese (IMDB) では特定の映画に対する各国の上映規制についての情報が掲載されているが、日本は性器の露出に対しては(かつてほどではないにせよ、いまだに)神経質にボカシ処理を強いる反面、性器さえ映っていなければ非常に暴力的な表現、暴力的な性行為の表現についても規制が緩い・・・ということは何度か指摘してきた。性器の映像化をとことん排除しようという意志と、性器さえ映っていなければどれほど女性*1の尊厳を既存する表現であろうとOKとする態度とは共犯関係にあると言ってもよいのではないだろうか。つまりは、性器の露出を回避しつつ最大限の収益をあげるためにより「えげつない」表現が模索されたのではないか、ということだが。
現状において刑法175条が、他者に対してほとんど危害を与えない表現を違法とする(しうる)一方、より危害性の高い表現を看過するように運用されていることは明らかだと思うのだが、どうですか?

*1:ポピュラーカルチャーにおける同性愛者へのあまりにもカジュアルな差別的表現−−例えば「ホモ疑惑」をかけられた人物がその疑惑を解消するプロセスが笑うべきネタとされる、といった−−も看過し難いと思うのだが、ここでは記述の簡潔さを優先した。ご寛恕を請いたい。