『ザ・スクープスペシャル』、『映像'09』

第一部 「私は間違えた」・・・袴田事件元裁判官“贖罪の旅路”

「袴田君が開放されない限り、私は救われない。開放されたとしても、彼の一生を
つぶしたことになると思っている」。
ブログに綴られた贖罪の言葉…書いたのは熊本典道元裁判官、贖罪の言葉が向けられた
のは、熊本氏が主任裁判官として一審判決文を書いた袴田巌死刑囚だった。


1966年6月30日未明、静岡県清水市で味噌製造会社の専務宅から出火し、現場から
刃物による傷を受けた一家4人の死体が発見。当時現場近くの味噌工場の寮に住み込みで
働いていた袴田巌容疑者が逮捕されたが、取調べ段階で自白したものの公判では否認。
裁判は捜査手法を巡り大きく揺れ、法廷に提出された供述調書45通のうち、静岡地裁
証拠採用したのは1通だけという異例の展開となった。


しかし静岡地裁は捜査手法の問題を指摘しながらも死刑判決。東京高裁・最高裁も一審判決
を支持し、死刑が確定した。こうしたなか事件から40年余り経た07年、一審主任裁判官と
して判決文を起案し、付言で強引に自白を取る捜査手法を批判した熊本典道氏が
「袴田さんは無罪と確信している」と告白。裁判官や元裁判官が、自分が関与した裁判の
「評議の秘密」を明かすのは極めて異例のことだった。


番組では、極めて疑問点の多い袴田事件について検察側立証の矛盾点や疑問点を再検証。
また信念に基づき「評議の秘密」を公にした熊本元裁判官の“贖罪の旅路”に密着する

袴田事件については、浜田寿美男氏の「供述分析」の対象となっていますので、いずれじっくりととりあげる予定です。
参考:http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C497052863/E20080325223536/index.html


第二部 「推定有罪?」無実訴え21年・・・検証 滋賀・日野町事件

1984年12月28日。滋賀県日野町で酒店経営の女性が金庫と共に行方不明になり、翌年1月、
町内で他殺体となって発見。それから3年後、常連客だった阪原弘容疑者が犯行を認めたと
して逮捕された。長女は、取調べが終わり夜遅く帰宅した父との会話を、今も覚えている。
「お前らがかわいいから自白してもうた」。刑事は「娘の嫁ぎ先をガタガタにしたろうか」
と脅したという。父は警察の厳しい取調べに耐えられなかったというのだ。
動機も物的証拠もなく、あるのは「手で首を絞めた」という自白のみ…しかも被告は公判で
全面否認。こうしたなか7年かかった一審判決直前、奇妙なことが起きる。


この最終段階で、検察側が異例の起訴事実変更を申請。店内だった犯行場所を「日野町内
及び周辺」に、午後8時40分とした犯行時刻を「8時過ぎから翌朝まで」に変更したのだ。
犯行時間も場所も特定しない考えられない変更だったが、裁判官は認めた。


そして…一審判決(無期懲役)。自白を「信用できない」としながらも「金庫を捨てた現場
に刑事を案内した」等の状況証拠で有罪。二審判決(無期懲役)。「一審の状況証拠だけ
では有罪と出来ない」としながらも、自白は「信用性がある」として有罪 。
なんと「自白」と「状況証拠」をめぐり、一審と二審が真っ向食い違う判断をしながらも、
ともに「有罪」であるとして、無期懲役判決を下したのだ。


こうしたなか弁護団は再審で「死因は手で首を絞めたのでなく、紐で締めたことによる」と
いう新証拠を提出する。地裁もこの弁護側新証拠を認定した。
しかしここでもまた意外な展開が待っていたのだ。

番組サイトではバックナンバーの動画配信をやっていますので、少し待てばオンラインで視聴できると思います。
さて、一審判決直前の「起訴事実変更」については、担当の裁判官による検察官への示唆に基づいて行なわれたものであることが番組では紹介されていました。検察側の当初の立証方針では有罪判決を書けないことを裁判官が事実上認めたと言ってよいでしょう。
再審請求での「意外な展開」とは? 請求却下決定に対する日弁連のコメントによれば次の通りです。

本件確定判決は直接の物的証拠はなく、状況証拠も請求人と犯人を結びつけるものではなく、任意性と信用性に疑問のある自白しかないという脆弱な証拠に支えられたものであった。これに対し、弁護団は、再審請求において、数々の新証拠を提出していた。しかし、本日の棄却決定は、これらの新証拠を正しく評価していない。例えば、被害者の殺害態様に関する自白について、新証拠に基づき「客観的な事実との矛盾がある」と認定しながら、3年以上も経過した自白であることや、請求人の知的能力の低さなどを考慮すると自白の信用性に影響を与えないとした。殺害態様は本件の自白のまさに根幹部分であり、ここに客観的事実との矛盾が出た以上、いわゆる「疑わしきは被告人の利益に」との刑事裁判の鉄則に従うべきであった。

番組によれば、大津地裁は“自白と客観的事実との矛盾は、供述が取調官の誘導によったのではなく自発的になされたことを示す”(大意)とのロジックを用いたとのこと。たしかに、場合によっては整い過ぎた供述がかえってなんらかの作為を疑わせることはあるだろうし、自発的に供述したがゆえに記憶違いがそのまま記録されたというケースも(一般論としては)あり得るだろう。しかしまず第一に、「誘導がない」ことと「自発的である」こととはイコールではない。自白を執拗に強要しながら、しかし供述内容について誘導することは避けたとしたらどうだろうか? また取調官は結局のところ残された証拠から犯行の様態を推理しているに過ぎないのだから、誤った認識をもった取調官の誘導によって客観的事実と矛盾する供述をしてしまうことだってありうる。なにより、殺害方法という肝心要の点について客観的事実と異なる*1供述を得ていながらそれ以上追及しなかった捜査のあり方が問われねばならないはずだ。

DNA鑑定の呪縛

1990年5月、栃木県足利市で4歳の女の子が殺害された。1年半後、一人の男性が逮捕された。DNA鑑定が決め手だった。しかし今年、再鑑定によってこの鑑定が間違っていたことが明らかになった。再審が開始される可能性が出てきた。しかし、92年に起きた殺人事件で犯人とされた男性は、全く同じ鑑定法で有罪とされ、死刑判決を受けていたが、去年、死刑が執行されていた。国家が無実の人を処刑してしまった可能性もある。

*1:再審請求に際しては裁判所、検察側、弁護側がそれぞれ鑑定人を立てたがいずれの鑑定結果も供述とは一致しなかったという。