コピペされ続ける間違い


pr3さんの「産経、帝国精神を受け継ぐ。」経由で。
イザ! 【産経抄】3月22日

 全員一致による決定は無効とする。というのはイザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』で紹介された古代ユダヤの国会兼最高裁のような機関での決まりである。全員一致は全員が誤りを犯している可能性があり、それを検証できないからだそうだ。

アチャー、まだこんなはなし信じてるの。と思って「サンヘドリン 全員一致」でググってみるとまだ真に受けている人が結構いるのがわかる。

 〔イエスの裁判が誤判である〕というのは、サンヘドリンには明確な規定があった。すなわち「全員一致の議決(もしくは判決)は無効とする」と。(…)この場合どう処置するかには二説あって、一つは「全員一致」は偏見に基づくのだから免訴、もう一つは興奮によるのだから一昼夜おいてから再審すべし、としている。(…)
(『日本人とユダヤ人』、角川文庫、101ページ)

で、これはもちろんのこと浅見定雄氏の『にせユダヤ人と日本人』(朝日文庫)で批判されているのだが、現在この本は品切れであるようなので、当該箇所を簡単に紹介しておきたい。
まず浅見氏は『日本人とユダヤ人』の当該箇所のネタ元が『イエス時代の日常生活』(ダニエル・ロプス、山本書店!)の「もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった』」という箇所であると推定する。そのうえで、タルムード第4章第1節に次のような規定があることを指摘している。

 死刑罪でない裁判(直訳すれば「財産の裁判」)はその日のうちに完了してよい。しかし死刑罪の裁判は、無罪の時にはその日のうちに完了してよいが、有罪のときにはその翌日に(する)。
(『にせユダヤ人と日本人』、69ページ)

つまり判決が「繰り越し」となるのは全員一致かどうかによるのではなく、死刑判決であるかどうかによる、ということ。

 死刑罪でない裁判では、全員が(被告の)有罪を主張しても無罪を主張してもよい。しかし死刑罪の裁判では、無罪の主張は全員がしてもよいが、有罪の主張は全員でしてはならない。
(『にせユダヤ人と日本人』、71ページ)

要するに死刑が科されない罪についての裁判は「全員一致」の判決でかまわないし、死刑罪の場合でも「無罪」判決は「全員一致」でかまわない。死刑を宣告する場合にのみ「全員一致」の判決は回避されることになるが、それは「全員一致は無効だから」ではなく、(浅見氏の解説によれば)「被告人の生死にかかわる場合には必ずだれか弁護をする側に廻るよう義務づけるため」である。
タルムードのこの規定を引き合いに出すのであれば、橋下徹弁護士を批判する時の方が適切なようです。