麻生の「いい加減な教科書を変えた」発言


歴史教科書のはなしではないのでこちらで。
Web東奥 「麻生太郎首相の講演全文/自民党県連の政経セミナー」
asahi.com 2009年2月22日 「麻生首相「いい加減な教科書変えた」「日教組と戦う」」(魚拓
asahi.com 2009年2月24日 「麻生首相「いい加減な教科書変えた」発言釈明」(魚拓
毎日jp 首相VS記者団 「教科書“政治介入”、「そういう意味ではありません」 2月23日午後7時2分〜」(魚拓
もはや発言の一貫性など要求するのは虚しい気もする麻生首相だが、最後の毎日の「首相VS記者団」によれば「釈明」の具体的な文言はこうなっている。

Q:今の件ですけれども、変えさせたということは、言葉通り聞くと政治介入をしたという風にしか受け取れないんですけれども。


A:そういう意味ではありません。教科書検定、え、なんだったっけ。検定委員会だっけ。検定委員会が変える。そこが、責任を持って変えるということです。

ハンプティ・ダンプティじゃあるまいし「そういう意味ではありません」は多義的な表現についての釈明としてはまあありえても、「われわれは教育基本法を変えてあのいいかげんな教科書を変えました」が「そういう意味」ではなかったなどという釈明はまるで成立しない*1。自分たちの実績でないものを実績であると偽って吹聴したか、教科書検定への政治的圧力を身内ばかりの場で誇ったか、二つに一つだ。まあ自民党(の右派議員)が教科書における自由主義的な表現や歴史教科書の特定の記述を敵視しそれらを変えさせようとしていることは周知の事実であるわけだが。
読売新聞(YOMIURI ONLINE)はこの釈明を「首相、また失言?“教科書変えさせ発言”の圧力否定」という見出しで伝えているが、産経はさすがに違う。「首相 教科書検定、政治介入の指摘に反論」なんだそうだ(魚拓)。「反論」ですよ、反論w 毎日が伝えていない発言でも伝えている、なんてことはもちろんない。


興味深いのは朝日の第一報についたブクマにちらほら存在する擁護論。講演の一部だけをとりあげた記事はけしからん! のだそうだ。しかし見出しが「首相、県連のセミナーで講演」なのに中身が教科書や日教組についてのものだけだったというならともかく、これはもともと教科書の記述についての発言を問題にした記事だ。講演の他の部分を参照すれば実は「政治的圧力をかけた」というはなしではなかったことがわかる、というわけじゃない。こういうくだらない擁護論は思いつくくせに、政権与党が「結果が気に入らないからといって〔政治的に〕「中立」となっている機関の決定に文句を付けはじめる」(by 某「心の狭い学究」)ことに対する問題意識はまるでないらしい。メンツをみていると沖縄戦の記述に対する教科書検定をめぐる野党の動きなら嬉々として批判しそうなのがいるけど。

*1:私だったらこう釈明する。「われわれはあくまで教科書の記述について問題提起しただけで、検定委員会にその問題提起が理解されたということだと思っている。われわれの成果として強調するためにあのような誇大な表現になってしまった。」