赤報隊事件――新潮vs.文春
asahi.com 2009年1月29日 「本社阪神支局事件 実行犯を名乗る男、週刊新潮に手記」
記者2人が殺傷された87年5月の朝日新聞阪神支局襲撃事件(02年に公訴時効)で、週刊新潮2月5日号が実行犯を名乗る男性(65)による「手記」を掲載した。「私は朝日新聞『阪神支局』を襲撃した」との見出しで、計6ページで実名の告白として載せている。
記事によると、男性はある公的な組織に属する人物から「朝日を狙ってくれ」と頼まれたと説明。関西の暴力団組長に紹介された若者を運転手役にして、バイクで兵庫県西宮市にある阪神支局に向かったなどとしている。一連の事件の東京本社銃撃(87年1月)▽名古屋本社寮襲撃(同9月)▽静岡支局爆破未遂(88年3月)=いずれも公訴時効=についても、「私が実行した」としている。
この男性は05〜06年、朝日新聞へ「襲撃事件の実行犯」と名乗って手紙を送ってきており、朝日新聞は当時、男性に会って取材した。今月、週刊新潮編集部から、男性の「証言」が事実と合致しているかどうか問い合わせを受けたが、面会内容や取材結果から「本事件の客観的事実と明らかに異なる点が多数ある」と回答している。
(後略)
『週刊新潮』の2月12日号には「手記」の第2段が掲載されているのだが(次号にも続く予定)、同日発売の『週刊文春』2月12日号は「朝日が相手にしなかった「週刊新潮」実名告白者」と題する記事を掲載し、『週刊新潮』に対抗して朝日新聞の主張を伝えるという(不謹慎だが)ケッサクな事態になっている。『週刊文春』が紹介している朝日新聞の主張のうち、「自白の研究」という観点から興味深いのは次の点。『週刊文春』2月12日号、28ページより。
では、朝日が言う「客観的事実と異なる点」とは、具体的にはどこなのか。
朝日新聞関係者が語る。
「まず疑念が生じたのは、犯行に使用した散弾銃のことです。彼は『レミントンの上下二連式で七連発できるもの』と語ったのですが、二連式の銃は二連発しかできません。これは散弾銃を扱ったことのある人間なら常識です。
(…)」
不思議なことに、島村氏は「新潮」では、朝日に言った「上下二連」ではなく「水平二連」銃を使用したと語っている。
(…)
今週号の『週刊新潮』には次のようにある(24ページ)。
(…)雑然とした部屋の先、ソファのところに人間の頭が2つ見えた。島村の手にあるのは、銃口が2つ横に並んだ「水平二連式」の散弾銃。2発撃つと、一旦空薬莢を取り出し、新たな弾を込めなければ次を撃つことはできない。“頭が2つに弾が2つ”――。(…)
「上下」と「水平」を間違えることは、なにぶん20年も前の出来事であるから、あり得ないことではないだろう。しかし銃で他人を襲撃しようとする人間にとって「七連発」か「二連発」かはかなり重大な関心事であるはずであるうえ、「上下二連式で七連発」というのは実際に散弾銃を使ったことある人間が口にしそうなことではまずない(ガンマニアでなくても映画をそこそこ観ていれば「上下二連式」なら「二連発」というのは了解可能ですらある)。『新潮』12日号では犯行当時の服装についても「証言を後退させている」ことが明らかにされており(26ページ)、朝日の主張通りなら“自白”に疑いをもつ余地は十分にある。その場合、『新潮』12日号での記述は後に矛盾に気づいたか取材者に誘導されて訂正したもの、ということになるのだろう。朝日新聞の取材は網走刑務所内で行なわれたもので、記録掛の刑務官が同席しており、報告を受けて警視庁公安三課が調査したが「事件との関連性は低いと判断した」(『週刊文春』12日号、28ページ)ともされている。