悲観論から楽観論へ、しかし…

産経新聞のこもりんが延々とアンチ・オバマキャンペーンをやっていたことは当ブログの読者の方ならたいていご存知だと思うが、「上院議員百人のうち最もリベラルの議員」という評価をあたかもコミンテルンの脅威の如く書き立てるのはまあ例外としても、日本の政財界に民主党政権への苦手意識があるのは事実のようだ。アメリカでは政権交代は度々起こっているのだから、政権交代が実質的に起きていない日本の側が民主党にもきちんとパイプをつくっておかないのが悪いとしか思えないのだが。
ところがオバマ政権の人事が発表されると安堵感というか楽観的な空気が漂ってきているようである。もちろん政財界が妙なパラノイアがとりつかれるのは困るし、アメリカが日本を軽視するより重視してくれた方がありがたい、という感覚は理解もできるし(後で述べるような留保をつけたうえで)共感もできる。
でも、昼休みに見ていたテレビで流れていた解説−−オバマの支持者は若い、若い世代のアメリカ人は「スシ」とか「アニメ」を通じて日本が好きだ、(だから日本を重視するだろう)−−などを聞いていると、オバマ政権に対する日本側の楽観論を楽観していいのか? という疑問がふつふつとわいてくる。そりゃ理由が「スシ」であろうが「アニメ」であろうが日本に対する好意が外交的なリソースになりうるのは確かだろう。有権者が日本を憎んでいれば政権の対日政策における選択肢は狭められてしまうのだから。しかし「ジャパン・パッシング」が起きずオバマ政権が日本を「重視」したとして、では日本側からオバマ政権に語るべき理念があるのか? というはなしになった時に「スシ」や「アニメ」は役に立たんでしょう。アメリカが日本を「重視」してくれます、と。しかしそれが「あんまり無理難題は吹っかけられずにすみそう」とか「いろいろ手助けしてもらえそう」ということで終わっちゃうんであれば、あまりにもみじめだ。