クソ知事は縄を綯うことしか思いつかないらしい

昨年まで私は橋下徹大阪府知事を“公人として「クソ」と言った知事”の意味で「クソ」知事と表現してきたわけですが、府知事基準ではこの程度は「上品過ぎ」であるということが本日判明しましたので、今後は表記を単に「クソ知事」と改めることにします。


asahi.com 2009年1月6日 「橋下知事「警察予算、増額したい」 タクシー強盗続発で

 大阪府内でタクシー運転手を狙った強盗事件が相次いでいることに関連して、橋下徹知事は6日午前、「治安には力を入れて、(警察の)装備品の充実を図っていく。府警が(予算)要望してきたものよりも、もっと増やしたい」と報道陣に話した。
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実際に被害に遭われた方々が犯人逮捕を望むのはもちろんのこと、強盗の潜在的被害者たる全タクシー運転手にしても、もちろん犯人が捕まって処罰されるにこしたことはないと思っているだろう。しかし、そもそも強盗被害に遭う蓋然性が低くなる方がより好ましいに決まっている。警察の予算が増額され、それが有効に使われれば検挙率が高くなるだろうことは(それなりの蓋然性でもって)予想できるけれども、では検挙率のアップがどの程度強盗事件の減少(ないし増加の抑止)につながるか、果たして支出にみあう効果が得られるのか、となるとこちらはまったく不透明である。そもそも短期に集中して起こった、という点を捨象してなおタクシー強盗が(あるいは強盗一般が)増えている(増える)のかどうか、一連の事件の犯人の動機がどのようなものか、といった基本的な情報すら明らかになっていないのに。もちろん、現在の不況下では(タクシー)強盗が増えている、あるいは今後増えるであろうということは相当の蓋然性でもって予想できることではあるが、しかしそういう事情で強盗に走る潜在的な犯人にとって検挙率のアップがどの程度抑止効果を発揮するのだろうか? 刑務所の過剰収容で微罪では刑務所暮らしができないのであればわざと軽傷を負わせて強盗犯としてムショ暮らしをしよう…と考える人間がいるとすれば、そのような人間にとって検挙率のアップはむしろ歓迎すべきことになりかねない。
別の領域ではあれだけ支出カットに励みまくっているクソ知事が、失業対策をはじめとするセーフティー・ネット充実という選択肢との費用対効果の検討すらせずに(してるわけないよね、このタイミングだし)警察予算の増加には簡単にゴーサインを出す…。これは旧本館で何度かとりあげてきたG・レイコフの「モラル概念システム」論によって非常によく説明できる、と思われる。自分の道徳的バイアスに自覚的でない人間は、セーフティー・ネットの充実と検挙率のアップのどちらが強盗抑止に効果があるか? といった問題を平気で無視できてしまうのである。