ロッキード事件は遠くなりにけり


スポニチ 2018年12月19日 籠池夫妻「安倍首相バンザイは間違いだった」
籠池夫妻はどうでもいいんだけど。

 両被告の安倍晋三首相への批判も続く。「森友・加計問題が国会で散々論議されたことを身の恥と思い、首相を辞めるべき」とし「ロッキード事件田中角栄さんは首相を辞し、その後逮捕。次の三木首相が解明したように、安倍首相が辞めて内閣が変われば解明される」と持論を述べた。

もちろん田中が首相を辞任したのはロッキード事件のせいではなく、『文藝春秋』がファミリー企業をつかった田中の“錬金術”を暴き、さらに海外メディアがそれをとりあげたことによる。ロッキード事件の発覚はその後のことである。
こんな初歩的な間違いが、スポーツ紙とはいえ商業メディアに載ってしまうのは困ったものだ。田中がロッキード事件で辞任したと勘違いしたうえでロッキード事件陰謀論を唱えるひともいるのだから。


ところで指摘しておきたいのは、記事を担当した記者はひょっとしたらロッキード事件について自身の記憶を持っていないかもしれないが、現在65歳と58歳という籠池夫妻は田中退陣〜ロッキード事件発覚をしっかり記憶しうる年齢で体験しているという点である。しかも二人にとってとりたてて心的外傷になるような出来事でもない。それでもこういう記憶の錯誤というのは生じるのである。「ジープ」と言ったから「慰安婦」の証言は嘘、に類する右翼の主張が箸にも棒にもかからない愚論であることがよく分かるだろう。

「袴田さん再収監を許さない」会見

記事の見出しは9月21日のエントリでもとりあげた「冤罪被害者の会」設立になっていますが、衆院議員会館で同日に行われた支援集会「袴田さん再収監を許さない」の会見についてのニュースです。映画『獄友』などからも穏やかな人柄が伺える菅家さんの怒りの言葉が胸に迫ります。
この会見、調べた限りでは日刊スポーツ(および同紙から配信を受けたポータルサイト)しか記事にしていないようです。他メディアにももう少し関心を持ってもらいたいものです。

「「使命を終えた「博覧会」」

 歴史的に見て、博覧会が時代の文化や人々の意識に大きな影響力を持っていたのは、一八五〇年代から第二次世界大戦までの間である。もともと博覧会とは、フランス革命後のパリに誕生し、十九世紀を通じて欧米各地に広がったイベントの形式である。なかでも一八五一年、ロンドンで初の万国博覧会が開催されてから、一九世紀後半になると欧米の大きな都市が次々に壮大な規模の万国博を開催し、「博覧会の世紀」と呼ぶにふさわしい状況を現出させていった。実際、今日では万国博をはるかにしのぐオリンピックにしても、今世紀初頭には、万博会場の片隅でアトラクション的に行われていた時代があった。
(中略)
 さらに博覧会は、単に「技術」や「商品」のディスプレー装置であるのみならず、「帝国」のプロパガンダ装置でもあった。当時の万博会場には、いつも大規模な植民地パビリオンが設けられ、帝国主義戦争の戦利品なども展示されていた。また、植民地の先住民を多数会場に連れてきて、まるで動物園のように柵(さく)で囲われた模造の集落に「展示」するという人種差別的な試みも、一部の人類学者たちの手を借りて行われていた。

ここで引用したのは第二の大阪万博という愚挙について書かれた文章ではなく、青島幸男都知事(当時)によって世界都市博覧会の中止が決定されたことをうけて書かれたものです。1995年5月15日『朝日新聞』夕刊掲載、「人間動物園」への言及があることで気づいた方もおられると思いますが、筆者は吉見俊哉氏です。

このコラムを読んだのと『博覧会の政治学』(1992年刊)を読んだのとどちらが先だったか失念しましたが、博覧会というイベントと帝国主義との結びつきについての指摘は強く印象に残っています。この社会の支配者層がこのコラムから20年以上たっても「万博」に固執していることと、韓国最高裁「徴用工」判決に対するこの社会の噴きあがりっぷりとの間にどのようなつながりがあるのか……と考えてみることにも意味があるのではないでしょうか。


なお余談ですが、このコラムが掲載された翌朝の一面トップがこちらです。

「帝銀事件と登戸研究所」展

明治大学平和教育登戸研究所資料館が今週水曜日から来年の3月30日まで、企画展「帝銀事件と登戸研究所」を開催しています。

今から70年前の1948(昭和23)年1月26日,日本の犯罪史上でも特筆すべき大量殺人事件である帝銀事件が起きました。12名もの人が毒殺されたこの事件で使用された毒薬は、特殊な青酸化合物であるとみなされ、その有力な候補が登戸研究所で開発された暗殺用毒物「青酸ニトリール」でした。
今年度の企画展では、捜査本部で捜査の指揮をとっていた警視庁捜査一課の係長が残した膨大な『甲斐捜査手記』(未公開文書)を読み解き、捜査が旧日本陸軍の毒物研究の実態にどこまで迫っていたのか、犯行毒物と登戸研究所との関係、毒物開発と人体実験、そして毒物をめぐって急転回をとげた捜査と裁判、事件とGHQの関係などを追及します。

私も観覧することができればいいなぁと思っておりますが、お近くの方はぜひ。

お知らせとお詫び


行動経済学の入門書などを読んでいると、人間の思わぬ非合理性の例として「まったく使っていないサービスを解約せず料金を払い続ける」というものが挙げられたりしています。かくいう私も心当たりがあるので「おお、なるほど」と思ったりしていたのですが、先日、意を決してその種の契約をいくつか解除しました。
そのなかにパソ通時代から続いていたニフティも含まれていたのですが、うっかり失念していたのです。掲示板はニフティのサービスを利用して開設していたということを……。最近はスパムもまったく来ないのでメンテナンス作業をする機会もなく、どこのサーバーにCGIをおいているかを意識していなかったのが原因かと。
長年、少数ながら熱心に利用してくださる方がおられた掲示板にもかかわらず、このように予告なしに閉鎖するという結果になってしまい、誠に申し訳ございません。お詫びするとともに事後ながらご報告させていただきます。

松橋事件、東京新聞社説

再審開始が確定した松橋事件について、東京新聞10月18日付の社説がとりあげています。

 一九八五年の松橋(まつばせ)事件(熊本県)の再審が決まり、殺人犯とされた男性は無罪となろう。決め手の新証拠は何と検察側から出てきた。再審における証拠開示の明確なルールづくりが必要だ。
(……)
 もう一つは証拠開示の在り方である。二〇一六年に施行された改正刑事訴訟法により裁判員裁判などで全証拠のリストを出す制度になった。だが、再審手続きの場合は制度の対象外である。今回、布きれの開示は偶然の出来事だったかもしれない。


 それを考えると、もはや証拠の全面開示が必要であろう。捜査で得られた証拠は、検察のものだという意識を改めねばならない。
(……)

それ以外にも自白偏重捜査の問題、再審開始決定に対する検察の抗告の問題が指摘されていますが、いずれも松橋事件に限った問題ではありませんね。

『隠された証拠が冤罪を晴らす』

再審における証拠開示に関する特別部会の部会長で、大崎事件の弁護人である鴨志田裕美弁護士が「再審格差」という概念で問題提起したように、いまの日本には再審請求審における証拠開示についての明示的なルールはなく、裁判官が証拠開示に積極的かどうかで大きな違いが生じてしまう。再審弁護に取り組んできた弁護士らによる報告と、シンポジウム等の記録。
とりあげられている各事件について簡単に経緯等は説明されているが、なにぶん手短にまとめられているので、まるきり予備知識がないひとにはわかりやすい本だとは言えない。しかしいくつかの事件について原審および再審請求審における争点をある程度承知していれば、検察の非道さに対する怒りで目も眩みそうになるだろう。